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人生いろは坂

笑顔をこそ復活の力に 

2011年04月23日 外部ブログ記事
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 今日は御大師様の命日である。あいにくの雨になったが熱心な信者さん達の列は続く。今日は家内達
も早朝から近くでお祀りしている大師堂に出かけ接待を行っている。接待を受けるものにも接待を行う
ものにも幸多かれと祈る。ちなみに私は、このお堂の堂守である。

 このお堂、長年の風雪に耐え雨漏りがひどかった。一念発起の後、昨年屋根修理を行った。見違える
ほどにきれいになった。損得抜きで引き受けてくれた近所の大工さんのお陰である。心から感謝している。

 さて、「子育てサロンプーさん」の新年度が始まった。昨年から水島と分離独立して一年が過ぎた。
Oさんに、おんぶにだっこで3年間、やっと独り立ちが出来た子育てサロンである。

 振り返って見れば、私の一途な思いから子育てサロンの運営は始まった。あまりにも幼児虐待などが
多く、私に何か出来ることはないだろうかと考えていたからだ。子育ての悩みを聞いてあげる場を作り
たい。母親の孤立を防ぎたい。そう考えたのが始まりだった。

 本当はこうした場所に来てくれる人より、家に閉じこもって思い悩んでいるお母さん達こそ問題なの
かも知れない。そう思いながら続けている。

 倉敷市からの補助金は年間2万4千円、これではとても十分とは言えない金額だ。大半は子育て
サロンに力を貸してくれる友人達のボランティア精神に負うところが多い。市は他に使うお金を
見直してでも、こうした活動へ資金を出すことは出来ないのだろうか。市の財政がそこまで逼迫して
いるとは思えないのだが。

 不思議な事に今年はウグイスの声を未だ聞いていない。例年ならばウグイスの鳴き声で目覚めることも
少なくないのだが、どうしたのだろう。心なしかツバメの姿も少ないようだ。何か自然には私達人間の
気付かないような変化が生じているのだろうか。

 どうやら東北の被災地にも桜の花が開き始めたようである。季節は大事件にも関係なく確実に動いて
いるようだ。かつてないほどの大惨事となった東日本大震災だが、この大震災の問いかけているものは
何だろうか。繰り返し考えている昨今である。

 全く意味のない大惨事とは思えない。また、この大惨事をあらかじめ予測していたかのような様々な
出来事も単なる自然現象とは思えない。何か意味がある。この世に生ずることで意味のないものはない。
だとすれば、それは何か。

 この世の中はプラスもあればマイナスもある。足し引きすれば得も損もない。悪い出来事の裏には
必ず良いことがある。それに気付いていないだけのことである。そう思っている。

 私達は精神的に強くならなければ生きてはいけない、そんな時代に生きている。弱い気持や思いは
悪いことを引き寄せてしまう。

 未だ終息の見えない原発だが、早くも被爆した大地を取り戻したいと色んな提言がなされている。
その一つが向日葵や菜種の種を蒔いて放射能を吸収させようと言う試みである。かつての原発事故の
被災地チェルノブイリでで試みられ、それなりの実績が得られているようである。

 また、EMを撒いて何とかしようと言う試みも行われている。私の知人は津波に襲われた農地に綿を
植えてはどうかという提言をしている。現に岡山県では塩害の残る干拓地で、お米が作れるようになる
までの間、綿作を行っていたことがある。綿は塩害に強い。米作りにこだわる必要はない。時あたかも
原綿の高騰している時でもある。

 実は、自然は一つだけでなく二つも三つも解決策を準備してくれている。それを実行に移すのは私達
の強い意志である。私達の意識や意志こそ復旧の大きな礎(いしずえ)だ。そして原発事故の収拾にも
必ず有効な収拾の手段はあるはずだ。今はまだそれを見付けていないだけだと思っている。

 そして、ソフトバンクの孫さんのように、本気で原発後のエネルギー問題を考えてみたい。それが
奇しくもチェルノブイリから25年を経過して、いま新たに私達に突きつけられた緊急課題ではない
だろうか。

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