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人生いろは坂
科学は万能ではない
2011年04月15日
テーマ:テーマ無し
未だ先の見えない原発問題、この原発問題が震災復興の大きな足かせになっている。なかなかに
やっかいなものを作ったものだ。簡単に制御できないようなものを作っておいて科学万能などとは
とても言えまい。
私達は科学が万能だと信じ込み、信じ込まされてきた。科学的に解明できないものは迷信だとして
一蹴されてきた。しかし、その科学でどれほどのものが解明できているのだろうか。
この宇宙にしても自分自身の体にしても不可思議な事ばかりである。この不可思議にして未知なる
ものが膨大にある。私達は、その膨大なるもののわずかばかりのところを知っているに過ぎない。
コロンブスはアメリカ大陸を発見した。アメリカ大陸はコロンブスが発見しようがすまいが、昔から
そこにあったものである。いわば追認に過ぎない。科学も同じ事である。
優れた発明発見も自然が有するものの真似事に過ぎない。太陽は核融合によって膨大な熱エネルギー
を発し続けている。人間が核分裂だ核融合だと大騒ぎをしている前から自然に行われていた。
人間の誕生にいたるまでのプロセスを見てみよう。混沌として普通の生物が住めないような環境を
変えてきたのは膨大な数に上る光合成を行う微生物であった。彼らはひたすらに二酸化炭素を固定し
酸素を吐き続けてきた。それが彼らの繁栄の証であった。
その結果、この地球上には存在しなかった酸素が生まれた。酸素は光合成を行う従来型の微生物に
とって毒であった。その毒の中で生きるための手段が、新しいタイプの微生物の誕生であった。酸素
を使って生きる微生物の遙か未来に私達の誕生があった。
これらのプロセスは決して試験管やフラスコや顕微鏡の下で行われたことではない。この地球上の
海という圧倒的な水の中で行われたことである。
むろん、ここに至るまでにも様々な試練があった。寒冷化、小惑星の衝突等々である。パンゲアと
いう大きな大陸が分裂するという地殻変動もあった。火山活動もあった。むろん数知れぬほどの巨大
地震もあったに違いない。
そうした様々な試練を受けながらもDNAという命の設計図を受け渡してきた。壮大な生物のドラマ
である。これら人間の叡智の遙かに及ばないような壮大な生への営みであった。
たかだか人間の歴史は数百万年である。その数百万年の内でも科学といえるほどのものが如何ほど
のものであったろうか。人間はもっと謙虚になるべきではないのだろうか。科学は決して万能ではない。
自然の営みに対しては足下にも及ばない存在であることを肝に銘ずるべきではないのだろうか。
自然に寄り添った生き方と言うものを、こういう時だからこそ、もう一度考え直してみたい。
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