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葵から菊へ
「東京駅と文学」ー東京駅前広場で松本清張「点と線」を説明
2018年03月21日
テーマ:テーマ無し
東京ステーションホテルは東京駅に位置する特殊事情からか、文学の世界で取り上げられることが多かったようです。
江戸川乱歩<怪人二十面相>
明智探偵と怪人二十面相が「鉄道ホテル」で虚々実々のやりとりをします。
(略)さて、二十面相のことはこの位にとどめ、私達は明智名探偵を迎えなければなりません。
「アア、列車が来たようだ」
辻野氏が注意するまでもなく、小林少年はプラットフォームの端へ飛んで行きました。
出迎えの人垣の前列に立って、左の方を眺めますと、明智探偵をのせた急行列車の電気機関車は、刻一刻その形を大きくしながら近づいて来ます。
サーッと空気が震動して、黒い鋼鉄の箱が目の前を掠めました。テロテロと過ぎて行く客車の窓の顔、ブレーキのきしりと共に、やがて列車が停止しますと、一等車の昇降口に、懐かしい懐かしい明智先生の姿が見えました。黒い背広に、黒い外套、黒のソフト暗という、黒ずくめのいでたちで、早くも小林少年に気づいて、ニコニコしながら手招をしているのです。(略)
その時、外務省の辻野氏が、明智の方へ歩みよって、肩書つきの名刺を差出しながら、声をかけました。
「明智さんですか、かけ違つてお目にかかっていませんが、私はこういうものです。実はこの列車でお帰りのことを、ある筋から耳にしたものですから、急に内密でお話ししたいことがあって、出向いて来たのです」
明智は名刺を受取ると、なぜか考えごとでもするように、しばらくそれを眺めていましたが、やがて、ふと気を変えたように、快活に答えました。
「アア、辻野さん、そうですか。お名前はよく存じています。実は僕も−度帰宅して、着更をしてから、すぐに外務省の方へ参るつもりだったのですが、わざわざお出迎を受けて恐縮でした」
「お疲れのところを何ですが、もしお差支なければ、ここの鉄道ホテルで、お茶を飲みながらお話ししたいのですが、決してお手間は取らせませんJ
「鉄道ホテルですか。ホウ、鉄道ホテルでね」
明智は辻野氏の顔をじっと見つめながら、何か感心したようにつぶやきましたが、 「エエ、僕はちっとも差支ありません。では、お供しましよう」
それから、少し離れたところに待っていた小林少年に近づいて、何か小声に囁いてから、 「小林君、ちょっとこの方とホテルへ寄ることにしたからね、君は荷物をタクシーにのせて、一足先に帰ってくれ給え」と命じるのでした。
「エエ、では僕先へ参ります」
小林君が赤帽のあとを追って、駈け出して行くのを見送りますと、名探偵と辻野氏とは肩を並べ、さも親しげに話し合いながら、地下道を抜けて、停車場の二階にある鉄道ホテルへ上って行きました。
予め命じてあったものと見え、ホテルの最上等の−室に、恰幅のよいボーイ長が、うやうやしく控えています。(以下略)
【注】最上等の部屋とは、ふた間続きのスイートルーム24号室として記念されている。(現在のステーションホテル2039号と室2040号室)
松本清張<点と線>
松本清張の「点と線」といえば推理小説としてはあまりに有名です。書かれたのは昭和32年(1957)で旅行雑誌「旅」に昭和32年2月号から33年1月号まで掲載されています。昭和30年代に入ると戦後からの脱却が始まり、昭和31年11月には東海道線が東京から神戸まで電化され旅行ブームが始まります。
松本清張の「点と線」は東海道線が電化されて誕生した東京と福岡(博多)を結ぶ特急「あさかぜ」がテーマになっています。当時庶民は高価な特急にはなかなか乗れませんでした。
一種あこがれの特急が「あさかぜ」でした。
小説の書き出しはうさん臭い機械工具商社長 安田辰郎と某省官僚との癒着から始まります。戦後は昭和電工事件、造船疑獄等の政治家、官僚を巻き込んだ疑獄事件が相次いで発生しており、そのテーマも取り込んだ長編推理小説となったものとおもわれます。
機械工具商の社長 安田は東京駅から横須賀線で鎌倉に向かうため13番線に向かいます(1月14日の18時頃)。どういうわけか、14番線には列車は止まっておらず15番線に発車を待っている「あさかぜ」が見わたせ、ある二人連れを目撃します。
(略)…「あれは、九州の博多行の特急だよ。《あさかぜ》号だ」安田は、女二人にそう教えた。列車の前には、乗客や見送り人が動いていた。あわただしい旅情のようなものが、すでに向い側のホームにはただよっていた。 このとき、安田は、「おや」 と言った。「あれは、お時さんじやないか?」え、と二人の女は目をむいた。安田の指さす方向に瞳 を集めた。「あら、ほんとうだ。お時さんだわ」 と、八重子が声を上げた。 十五番線の人ごみの中を、たしかにお時さんが歩いていた。その他所行きの支度といい、手に持ったトランクといい、その列車に乗る乗客の一人に違いなかった。とみ子もやっとそれを見つけて、「まあ、お時さんが!」と言った。 しかし、もっと彼女たちに意外だったことは、そのお時さんが、傍の若い男(注・佐山)と親しそうに何か話していることだった。…(略)
随筆家の内田百聞もステーションホテルをこよなく愛した。昭和12年「鉄道ホテル」の208号室(現209号室)で小説「東京日記」を執筆。戦後は毎年5月29日の彼の誕生会を「魔阿陀会」として当ホテルで開催。46年に彼が亡くなつてからは「もういいよ会」になつて、彼を偲ぶ会は続いている。
内田百?<東京日記>
私は仕事の都合で歳末の半月ばかり、東京駅の鉄道ホテルに泊まっていたが、その間は−度も外へ出なかったので、大分気分が鬱して来た。それにホテルの食べ物は窮屈で、食堂のあてがい扶持ばかり食ってもいられないから、毎日昼か晩の内少くとも−回、時によると二度とも駅の乗車口の精養軒食堂へ降りて行って、いろんなものを拾い食いをした。
夕飯の時ほ、鯖やお弁当を肴にして、独酌で一義傾ける。いつも大変な混雑なので、傍の食卓の人が立ったり坐ったり、出がけにコップをひっくり返す人もあるし、泣いている赤ん坊を背中におぶった健で坐り込むお神さんもあって、初めの間は少しも落ちつかなかつたが、仕方がないと我慢して盃を重ねている内に、次第に辺りの騒ぎが遠のいて来る様で、目の前をちらちらしている人影も目ぎわりでなくなった。…(略)
川端康成が317号室で執筆した小説『女であること』は33年に映画化され、主演の原節子が317号室から眺めるシーンがあった後はしばらく同室希望の女性客が殺到したという。
川端康成<女であること>
…(略)村松がもどつて来てから、市子ほ三階にあがつて、三一七の部屋を、そつとノックした。まちがつてゐるかもしれない。
「はい。小母様さま?」
とびらが内にひかれた。部屋の光りを背に、さかえがすつと立つてゐる。
化粧も口紅も薄くて、なにげなくとかした髪がいい形で、頻を引きしめてゐた。
「来てくれはつたわ。」
「こんなお部屋に、ずうつと一人でゐたの?」と、市子は鼻がつかへるやうにながめて、「白い箱にはいったみたいね?」
「ホテルで一番安い部屋やもん。」
さかえはこだはりがない。
「いくらなの?」
「千圓です。サアビス料は別です。」
二階の村松の部屋が、ベッドを二つ入れ、バスもつき、廣々してゐたのとは、まるでちがふ。
この小部屋は、ベッドも簡単な金の足だ。壁の端に、短い幕をふくらませたのが、洋服だんすの代りらしく、さかえのコオトが見える。白い洗面器と鏡を、壁にとりつけて、片すみに粗末な小机が−つ置いてあるきりだ。
さかえは布張りのいすを市子にすすめて、自分はベッドに腰をかけた。
「小母さま、落ちつけへんの?」
「落ちつけないわ。」
「ようおいでやす、とも言えへんとこですけど。」
「うちへ来ればよかつたのよ。」
「東京へ着いた晩にね、すぐ小母さまとこイ、寄せてもらふつもりやつたんですの。八重洲口の方へおりて、運樽手に聞いたら、多摩川て遠い言ははるし、ひょっとして、さびしい暗いところやと、うち一人でこはいさかい、スチエション・ホテルいふのに、一晩泊らうか思てね。…(略)
【東京駅と文学は、JTBキャンプックス「東京駅歴史探見」などをを参考にしました。】
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