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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

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2011年05月03日 外部ブログ記事
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昨日は週に一度の買い物日だった。4日に来客があるので、まずレイヨンヴェールでバゲットを確保した。そして愛車ニュービートルを走らせ小諸へと向かった。それは、妻宛てに届いた葉書の案内「やきもの・おりもの展」へ行くためだった。この地に移住してもう少しで3年になるが、今までに経験したことのない人たちに出会うことが多い。軽井沢近辺では昔から著名な作家などがその執筆活動を軽井沢という環境の中で行っていたというのは有名な話しであるが、現在でも、多くの作家や芸術家などがこの素晴らしい自然環境の中で活躍している。
 
しかもその人々に会えるチャンスに恵まれているという事実は、この地に生活したことによる特殊事情だと考えられる。それほどに身近なところで活躍する作家が多いと言えるのである。
私たちが、いろいろな作家に巡り会えたきっかけは、近くに住むガラス彫刻家・長尾知可子さんが奇しくも同郷であったことや、妻が「さゆみの会」へ参加することができたことなどで、いろいろな作家と出会うことができている。そして、いつも言っているように私と芸術は結びつかない。そのめぐり逢いについては妻が主役であるが、長尾知可子さんの紹介で軽井沢のギャラリーへ行き、それがきっかけとなりこのたびの葉書が届いた。葉書には第23回ホーム ギャラリーとあり、その歴史の長さを物語っている。妻が知り合った織物作家の甘利日左子さんのご主人は陶芸家・甘利紘さんである。
 
小諸市平原にある自宅で製作活動を続ける甘利夫妻を訪ねるのは初めてであった。国道18号線を進み 小諸市 に入るとほどなく右折すると工業団地へと向かう立派な道路ができているが、その道に入るとすぐに鋭角に右折する小さな道がある。その道を蛇行しながら下ると右手に川を見ながら車一台がやっと通れる道が続いている。案内状の地図では橋を一つ渡った左手になっていたが、実際はもう一つ橋を渡ったところであった。その後の会話の中で、甘利氏にそのことを話すと、私たちは「地図の読めない女、話を聞かない男」なのです、と笑い飛ばし、来年は私が地図を書きますと語っていたが、例外はあるにせよ、この世の中の女性の多くは地図が苦手のようだ。
 
それにしてもこのあたりには甘利家以外には家は見あたらず、人が住んでいるとは思えないような場所であった。会場にはすでに2組の先客がいて、作品を買い求めているところだった。
先客が帰られた後、話しをしていると、陶芸家の甘利紘氏は奇しくも私と同じ年の生まれであった。その後は私の口も例によってなめらかになり、どんどんと話しは弾みはじめた。写真撮影の許可を得てシャッターを押し始めると、窯や仕事場も案内していただくことになり、私たちは一気に親しくなっていった。小さな川の上流方向にかすかに見える浅間山の説明や、小川でとれた巨大な魚の話しで盛り上がりながら家の裏にある窯場へ案内された。
 
傾斜地に建設されている窯場の2階はステージになっていて、法面を歩いて上がると階段なしで入れるようになっている。そこで小さなコンサートなども開催していたという過去の話も聞いたり、現在では毎年チャリティーの催しをここで行い、ユニセフに寄付を続けているという事も聞いた。そのステージに「座陸」という表札があったが、母上の陸子の陸の字を使っているという面白いエピソードも話してくれた。そして、その向い側には平屋建ての仕事場があった。
広大な敷地と川の流れる自然いっぱいの中で暮らす甘利夫妻は、誰が考えても一筋縄ではいかない変わり者に違いない。この大自然の中で「明日の自分に出会いたい」と話す陶芸家・甘利紘氏は、独特な感覚と手法で自分の世界を作り出している。妻は、一昔前のゴルフクラブに使用されていたパーシモンを削った粉を混ぜて作りだしたという黄色系の色をした焼き物の小鉢を二つ買い求めた。「私は、直線よりも曲線が好き」という彼の作るカーブが好きと妻は話す。芸術の話しにはついていけないが、甘利夫妻の生き方には大いに共感したひとときであった。
 
そしてもう一つ、私たちにとって劇的な一瞬があった。それは、仕事場へと案内されるとき、聞き覚えのある美しい鳥の鳴き声が聞こえ、あれは「イカル」ですよ、と教えてくれた甘利氏のいう「イカル」という小鳥の名前が分かったことに、私たちは嬉しさ一杯に顔を見合わせた。
それは、忘れることのできない鳥の鳴き声だった。この地に来たばかりの3年前の6月、さかんに鳴くこの鳥の鳴き声に心が揺れ動くほどの感動を受けた記憶が蘇り、分からなかったその鳥の名前が分かった嬉しさは、また忘れられない出来事に違いないのだ。
 
金沢美術工芸大学卒業後、大倉陶園へ入社してからこの地で独立するまでの簡単な経緯も聞いたが、自然をことごとく愛し、芸術に打ち込む姿はいぶし銀のような渋さを感じさせながら、一人の日本男子の輝きを放っていた。
7月にチャリティーの催しが開催されるときに再開することにして帰路についた私たちは、彼の推薦する近くの「やまへい」という食事処で昼食をとった。めったに外食をしない私たちだが、メニューの中から「浅間御膳」というのを選び、その後スーパーマーケットツルヤへと向かった。
 
誰一人知り合いのいないこの地に来て生活を始めたが、劇的な出会いはまだ続いている。
帰宅後、夜になってお隣のTさんと話し込み、忙しさの中での休日なのに、体を休めるという暇はなかったが、じっくりと語り合いながら心ゆくまで人間であるという実感にふけることができた。
 
まったく、人生は 夕暮れからが 面白い。
 
 

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