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平成の虚無僧一路の日記

大杉 栄 

2018年05月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



名古屋市北区に「大杉」と「杉栄」という町名がある。通るたびに「大杉栄」を思い出す。ネットで検索してみた。ちなみに、大杉栄の父は「大杉 東」。「東大杉」の町名もある。大杉栄は、香川県丸亀の生まれで、父の赴任により、越後新発田(しばた)で育つ。そして、14歳で「名古屋陸軍地方幼年学校」に入学している。名古屋の町名とは関係無いようだ。学科はトップ クラスの秀才だったが、自由奔放、時には凶暴な振る舞いで、「脳神経症」と診断され、退学処分となる。1902年(明治35年)東京に出、幸徳秋水、堺利彦たちの非戦論に共鳴。平民社に出入りする。以後、無政府主義、アナーキストとして、しばしば投獄され、1923(大正12)年9月、関東大震災直後の混乱の中、内縁の妻伊藤野枝と甥の橘宗一(6歳)とともに、憲兵に連れ去られ、井戸に投げ込まれ、惨殺された。命令したのは甘粕大尉と云われている。(橘宗一の法要は、名古屋の日泰寺で毎年行われていた。なぜかは不明)。この伊藤野枝も自由奔放な女で、女性解放、夫婦別姓、自由恋愛など100年、時代を先取りしていた。いろいろ調べていくと面白い。

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