メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

葵から菊へ

「東東京女子大卒業生有志の靖国神社ツアー」の感想文 

2018年05月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



東女卒業生の方々の靖国神社ツアーをガイドしましたが、ガイド風景画像は二回アップしました。
境内は2時間、遊就館内は120分コースを3時間ご案内しました。

?東京女子大卒業生有志の靖国神社ツアーガイド風景画像
?東京女子大卒業生有志の靖国神社ツアーガイド風景画像《その二》


感想文が寄せられましたのでアップします。
皇国史観と大東亜戦争正当論を鋭く批判し、女性の視点から平和を深く洞察した素晴らしい論考です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

足を踏み入れることにためらいがあった靖国神社の平和ツアーに参加して、ガイドの長谷川さんの懇切丁寧な解説で全貌の片鱗が多少なりとも理解できました。
一人で行ったのでは絶対に気が付かないことや、見落としてしまうことなどを教えていただけたことが特に有難かったです。
境内や遊就館を見学して、ただただ戦争を正当化してはいけない、美化してはいけないと強く感じました。(T・S 70代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

靖国を訪れたのは、2回目。前回も長谷川さんに案内していただきました。前回は靖国の成り立ち、戊辰戦争の官軍賊軍と分ける思想、亡くなった兵士に敵も味方もあるのか、という憤りから靖国神社を考えました。今回は、自分はどこに立って靖国にむきあうのだろうかと少々複雑な感情を持ちながら参加いたしました。
私の祖父(父の父親)は陸軍の軍人で、祖母は、遺族年金をもらいながら、父を母一人子一人の親子関係で戦後育ててきたという事実があるからでした。大正2年生まれの祖母は、私が幼かったころ栃木県の母子福祉会の会長を務めていました。はっきりした記憶が残っているわけではないのですが、毎年終戦記念日には、靖国、少なくとも、栃木県宇都宮の護国神社を参拝していたように思います。子ども心に、その記憶が残っています。私が大人になって、自分でいろんなことを考えるようになった時には残念ながらもう祖母は亡くなっておりました。本当のところ、祖母が何を思っていたか、私は知る由もありません。
確かに戦争はおろかだ、二度とあってはならないと言っていた祖母でした。でも、それはあくまでも、戦争未亡人になってしまった自分、苦労して息子を育ててきたという被害者意識的なことではなかったかと思っています。まして、靖国に対してどんな思いがあったか、そこはわからない。靖国万歳と思っていたかもしれない。私は大学生になってから、いろんな本や人に出会って、日本軍のやってきた様々なことを知りました。でもそれは同時に、私にとっては、あなたは加害者なのですよ、と突き付けられた課題のようなものでありました。
それを心したうえで、今回思いました。
靖国は、自分の立ち位置を考える場でもあると。
数年前、アウシュビッツビルケナウを訪ねたとき、そこで思ったことに通じるのかもしれません。
もちろん、靖国、遊就館の展示は、改ざんというか、都合のいいように展示されている内容も多く、そっくりそのまま学ぶことはできません。でも、長谷川さんのガイドを聞きながら客観的に学ぶことで、過去の歴史を知ることができる場所ではあります。そして、やはり、私たちは過去の歴史から学ぶことで、未来を切り開いていく。そうだとしたら、私も、祖父を正当化することなく、彼の過去の過ちを認め、反省し、加害責任を認めて、これからを生きていくしかないのだと思います。その意味で、今回の靖国ツアーは前回にも増して、私にとって大きなツアーになりました。そして、これからも、自分の立ち位置を見直す意味でも、靖国、そして、過去の歴史を巡るツアーに参加したいと思います。
ありがとうございました。(M・R 50代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

靖国神社は禍々しい印象があり行きたくないと思っていました。
ところがガイドの長谷川さんのよく通る声で畳みかけるように説明されて段々靖国の化けの皮が剥がれてきた気がしました。
靖国神社とは、伝統もへったくれもなく、明治新政府が味方の為だけに作った新興宗教のインチキ神社なのでした。
政府を挙げて靖国キャンペーンを張って、やたら大きな鳥居、爆弾三勇士などのレリーフがはめ込まれた灯篭中国から強奪した狛犬、さざれ石の巨岩などなど取り揃えたのでした。
近代国家にあるまじき、やばい歴史のモニュメント。
長谷川さんがおっしゃった「天皇教」の教義は「天皇のために死ぬと靖国神社で神様になれる」なのでした。
そんなことを日本国ぐるみで信じさせた狂信的な国造り、明治維新。
恐ろしい時代です。
この神社に政治家が参拝するとしたら、戦争のために国家が作ったシステムを肯定するということですからアジアの国々が反発するのも当然だと思います。
死者の政治利用です。
今また道徳教科書で同じような洗脳が行われようとしています。
心の靖国神社を造らせないよう、知らなければ、伝えなければ、と思いました。
他のところも長谷川さんのガイドで同じメンバーで是非回りたいです。
大変お世話になりありがとうございました。(Y・H 60代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

靖国見学、なかなか一人では行きずらいので今回、参加させて頂いて本当に良かったです。
国に命を捧げる事を美談として、次から次へと展示してあり心がざわざわしていくのを、長谷川さんが、精神安定剤となってくださったので、じっくりと見る事ができました。
神武天皇が実在の人かのごとく展示してある事や、満州国の現在の説明など、いろいろな突っ込みどころも教えてくださって充実した見学となりました。
本当にありがとうございました。(H・M 50代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんとも靖国神社は不気味で、何を伝えたいのだろうか、と感じました。
「靖国」に関連のある歌謡曲の詩のすこしづつの変遷、初めて知る「徴兵保険」というもの、「戦利品」を堂々と設置したままにしている感覚。戦争被害が伝わってこない展示。遊就館におかれていたチラシ「インパール作戦とインドの独立」の内容の薄さ、酷さ。戦争のむごさがつたわってきません。
私が戦争に関して話を聞いている昭和3年生まれの方から、靖国についての思い出をきいたことがあります。昭和9年ごろ、国防館ができたので、職業軍人をしてた父親が家族をつれて行ったのだそうです。
空襲を想定されていたジオラマがあり、またアメリカに毒ガスなどがまかれることもあるかもしれないが、そこに陳列されていた毒ガスマスクをすれば安全であると教えられたそうです。その方はとにかく怖くて、倒れかけてしあったそうですが、なぜまわりの人が大丈夫なのか、とてもさびしい気持ちになった、とおっしゃってました。体と心が戦争についていけない自分が弱い、と思っていたそうです。
 愛する祖国、家族のために、尊い命を捧げた英霊の「みこころ」と「ご事績」にふれるための展示、となっているようですが、その「英霊」にどんなにひどいことをしてしまったのか、という反省がひとかけらも見つかりませんでした。もちろん国の戦争責任についても言及せず、平和祈念の姿勢もみられません。
そういう靖国に8月15日にはものすごい人たちが集まるということ、国会議員が参拝することの問題がはっきり見えてきました。自分には関係ないので、行かない、というだけではすまされないところであるということが今日のお話でよくわかりました。(K・M 60代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

見学では、これでもかと部屋いっぱいに並ぶ若ものの写真、花嫁人形を贈る母の気持ちなど、心につきささりました。戦争の残酷さ、愚かさを実感します。そしてそういう思いにおぼれさせて、相手国に与えた惨い仕打ち、残酷な仕打ち、それへの責任には目を向けさせない、これが靖国神社の犯しているおおきな罪ではないかと思いました。アジア各国にどう向き合っていくのかという課題を全く感じさせないで戦争を語る意味はないのではないか、日本は戦争から何も学んでいないのか、考えさせられる見学でした。(O・H 80代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国家神道の名の下に廃仏毀釈してスタートした明治。天皇を神とし、世界に、アジアに冠たる日本民族となるために次々と戦争に突入していった時代の屋台骨になっていた靖国神社。とても怖くて踏み込めない神社でしたが、長谷川さんのガイドとご一緒できた皆様のお陰で、靖国神社を客観的に見つめることができました。
明治以降の戦争で亡くなった人達(勿論日本人だけではなく)全てを慰霊する神社だったらいいのにと思います。国家に尽くしたと認めて神として祀る権限は誰にもないのに、それが行われている不条理。第2次世界大戦後、天皇が人間宣言して戦後が始まっているのに、靖国神社の在り方が見直されていない異様さが、今回の靖国ツアーではっきりしました。
そしてそんな状況の中で首相や政治家が参拝することは、思慮がないというより国民を見くびっているとしか思えません。
靖国神社の中に在る物一つ一つの背景を長谷川さんに具体的に説明していただいて、とても勉強になり考えさせられました。ありがとうございました。(A・K 60代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

歴史を知らないままの参加でお恥ずかしい限りだったのですが、長谷川さんの丁寧なガイドで、いろいろなことを知ることができました。
初めて靖国神社に行って、過去の戦争を肯定する諸々が、今も根強く続いていることを強く感じ、とても怖いと思いました。
長谷川さんの言葉を思い出しながら、苦手だった日本史を学び直したいと思っています。(H・A 50代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長谷川様の詳しい解説で起源から現在に至るまでの靖国神社の変遷がよくわかりました。
次世代に語りつぐ使命と熱意が伝わってまいりました。
主人の父は日本郵船に勤めていましたが戦時中軍属として 輸送船の船長の任務に就いておりました。昭和19年夏にフイリッピン沖で戦死しました。
残された家族は戦後大変苦労したそうです。
軍人の遺族には遺贈年金の支払いが戦後間もなく始まったそうですが主人の母、戦没者の妻 への遺族年金の支払いは 主人の父の身分が軍属であったため数年遅れて支給されたそうです。
主人の父が自分の身に何かあった時の備えとして加入した生命保険や国債などは戦後の悪性インフレによって紙クズ同然となりました。
戦争の犠牲は戦死者ばかりでなく残された遺族にも被害がおよびました。
同じような思いをした多くの家族がいたことでしょう。
今回の企画は戦争と平和を再認識する良い機会となりました。
ありがとうございました。(T・T 70代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感想が、すっかり遅れてしまいましたが、漸くちょっと気持ちを落ち着かせてコンピューターに向かっています。
一言で感想を申し上げるなら、神社とは名ばかり、「魂」などという言葉を使っていても、タマシイという空しい音の響きのみの、内容のない場所でした。宗教施設ならどこにでもあるはずの、祈りが深められたことによる静けさの微塵もない所であると感じました。宮司らしき男性が袴をはいて通り過ぎましたが、尊い場に仕えている雰囲気は、皆無でした。ペンキ塗りたてと感じる零戦の異様な緑が、「全部嘘だよ」と言っているようで、未来のない場所に足を踏み入れたみたいでした。
真実を求め、命を大切に生きていかなければと改めて思うことのできたツアーでした。
長谷川さんと皆様に、改めて感謝いたします。
次にいつご一緒させていただけるかはわかりませんが、皆様お元気で、更なる企画の様子をお知らせいただければ幸いです。
感謝のうちに。(S・M 60代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

靖國神社は、怖いという気持ちがあり、今まで行くきっかけがなかった。ところが、実際に行って見ると、若いカップルやお孫さんを連れた御夫婦、どう見ても普通の日本人、これがまた恐ろしく感じてしまった。
私達が、もっとも恐れなければならないのは、あのような戦争に導いた指導者で、それを疑う事なく受け入れ、作り上げてしまった私達市民の空気感」そのものだと思いました。今、私に出来る事は、そのことに気づき、自分達のした行動を振り返り、反省しなければいけない。その為にはお友達を誘い、長谷川のガイドで靖國神社にまた行って見たいなと思った。
二度は来ないなーと思い、長谷川さんがあまりオススメではない、海軍カレーを食べたのに。(K・S 60代)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日は詳細なお話しをありがとうございました。途中でご挨拶もしないまま失礼しましたこと、申し訳ありませんでした。歯医者の予約が入っており、解説を中断してしまうことが心苦しく、そっと抜けました。出口に行くために次の展示へ進むと、所狭しと陳列された遺品や飛行機や魚雷に圧倒されました。一人でその中を進んでいくことが怖くなりました。 
戦争が愚かであること、人の命があんなにも軽んじられたこと。文で読み、写真や画像で見ることは今まで何度もありましたが、実物に触れたことで過去への想像力は何倍にもなりました。いただいた資料の中の、自害した一家の話もなんてことなのだと心が締め付けられる思いでした。それを強いた洗脳、選択するしかなかった洗脳、どちらもなんて悲しいことなのでしょうか。 
こういう過去があったことを伝えていくこと、それが私にとって大事なことであると確信しました。現在、中学社会の教諭を目指して学んでいます。現場に立てるかどうかは微妙ですが、私なりのやり方で平和教育ができる場を模索していきたいと思います。大学のスクーリングの教師論や教育原理の授業で何度も教育勅語の話が出ました。実物を初めてみましたが、あんなにも小さいものなのだと驚きました。イメージとしては掛け軸を横にした巻物くらいなのかと想像していました。その授業はとても偏りのある教授が担当されていて、特攻隊のビデオを流したり戦争は間違っていなかったという自論を展開したもので、私は思わず腕組みをして聞いてしまいました。終了時のレポート提出では疑問を投げかけたところ、ギリギリ評価のCだったという経験もしています。通常スクーリングではよっぽどのことがない限り、ほとんどSかAの判定がつくことが常です。歴史の真実を知ろうとしない人は、その授業に何の疑問も持たないまま採用試験を通り教育現場にでていくことになります。 
靖国へ初めて行く機会を持てたことで、久しぶりで、義母が1982年に朝日新聞の「ひととき欄」に寄稿した記事を思い出しました。その後、ひとときから派生した草の実会の会員になり、反戦の集まりをしばらく続けていました。義母はいつもいつも言っていました。「戦争はもうこりごり。いやだ。だめだ」と。記事を添付させていただきます。よろしければお読みください。 
長谷川さんのお話しをぜひまた聞かせていただきたいと思います。楽しみにしております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(F・Y 50代)
【F・Yさんから当時の朝日新聞「ひととき欄」のコピーが、送信されましたのでアップします。】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ひととき
息子よ知るやわが反戦の志

「達者でな」。にやりと笑って息子は出て行った。振り返りもせずに。八月も末の暑い臼、生き急ぐセミの声がやけに胸に響く昼下がりだった。
 大学をほうり出して「共通一次テストの敵討ちと、親の渦干渉に対して悲劇的結末を避けるため」だそうだが、ジーパンTシャツ姿で大きなリュックを背負い、合宿へでも出かけるような気軽さでオーストラリアへ旅立っていった。「方向オンチめ。南半球で泣き面ずるな」私は毒づきながら、こみ上げてくる感慨があった。
 青春真っ只中の息子は今、汗臭さにおう如き二十一歳。拳法(けんばう)に精出したゆえか腹筋もりもりの?ブルースリー以来?とか。身長も鴨居(かもい)に額を打つほど。世が世であったなら今ごろ外遊どころか「甲種合格!」の一喝で有無を言わさず軍隊入りをさせられていたはず、何と平明な別れ方であったと、戦争の無い時代に母でいることの幸せを思う。
 軍服に[祝入営]のたすきをかけ、小さな奉公袋をさげた若者を贈る日章旗のかげで、当時の母たちはどれほどの涙をあふれさせたことか。
 学歴社会、物資万能時代である今日、親が親たり得ない親業受難の世であっても、ずっこける自由は残されており、草木もなびく方へ歩かないのも勝手である。どなたの赤子などと拉致(らち)されたり、悪くすると人殺しをさせられたりする恐れは、今のところ無い。私も「靖国の母」にも「岸壁の母」にも、今のところならずにすみそう(それにしてもこの二つの何と悲しくも愚かしい響きであることよ)。
 これを幸運とだけ言っては相済まないと、昭和ひとけた世代の私は、頑固に思い続ける。夫や子を戦争で失った女性たちももまた、自ら戦争を担ったのだという二重の痛恨をえぐり続け、語り継がなければ。組織も力も持たぬ女性たちが、深く静かに反戦への意思を持ち続け、子らに語り続ける。何ごとかを志向する権力に拮抗(きっこう)し、日本の平和を模索しながら新しく組み直し、守っていけるのではないかと願いながら。
(横浜市 福田 初枝・主婦・51歳)
1982年9月20日朝日新聞「ひととき」欄

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ