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独りディナー
幸せの時間への、プロローグ
2018年05月22日
テーマ:音楽
名古屋で、バッハに明け暮れていた頃、もう一つの幸せな時間が動き始めていた。
東京のコンサートは、名古屋の二週間後だったので、中止のお知らせは、名古屋が終わってからと思い、LINEで繋がっている友人くらいにしか伝えて居なかった。
ところが、それが幸いして、中止を知ったブログ仲間のお二人がやはり、デュオが無理ならソロのコンサートを、と奔走して下さったのである。
お一人は、私がいつも文章の師匠とお呼びしているパトラッシュさん。
お住まいが、私達の予定していたコンサート会場の比較的お近くで、其処は散歩道の途中でもあるらしい。
師匠と吾喰楽さんのお二人の男性が、会場のオーナーと相談して下さり、コンサートは内容を替えて予定通りに実行する事にしたのだ。
其処の会場には、2001年に購入したフランスの銘器、プレイエルのピアノが置かれている。
かつて、ショパンやラヴェルが愛した楽器としても有名なのだが、今は製造していない、希少価値のあるピアノである。
私は、狭いキャパの頭の中をすっぽりと入れ替えて、今度はショパンやラヴェルの名曲でプログラムを組むことにした。
久しぶりに、プレイエルと再会する為、前日にリハーサルに行った。
私の様な、スタインウェイ仕様の人間は、個性の強い楽器とは、事前に音の出し方やタッチを把握しておかなければならない。
運の悪いことに、その日は庭師が入って居て、リハーサル中半分くらいはチェーンソーで、プレイエルの音はかき消されてしまったけれど、私は自分なりのこの楽器との対話法を探っていった。
ピアノを弾く場合、指は寝かせてはいけない、とよく言われるけれど、どうやら今回は、右手の速いパッセージは指を寝かせて弾くと音が揃う事がわかった。
音階や、アルペッジオと呼ばれる分散和音は、指を伸ばして弾くと、ハーモニー感がうかび上がるので、私はよく取り入れる。
それは、作曲者のショパンやラヴェルが、その様に指を伸ばして弾きながら、曲を書いたからだろう。
大分、右手方面のキイとは親しくなれそうな気配が感じられたが、問題は左手だった。
伴奏のパートを受けもつ、左手の和音。
もし、私が事前に100時間位、リハーサルをしたならば、
個々の和音に関して「ここは、小指は立てるけど薬指は寝かせて、人差し指は音が出やすいので、そっと触る」などといった、バランスを把握する事は可能だろう。
でも、この不揃いの感触達を、二時間位でどうやって掌握するのだ・・?
これは、希少価値である楽器の宿命なのか、それともメンテナンスの問題なのか、結論づけるのは難しい。
まあ、本番は生き物だと言われるでは無いか・・。
最後に行き着くところは、楽天性であった。
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