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平成の虚無僧一路の日記

盲人とはいえ 

2018年06月23日 外部ブログ記事
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宮城道雄氏もふだんのしぐさは建常人と同じで、盲人と思わせなかったという。和歌山県の白浜に、宮城道雄作曲の『浜木綿(はまゆう)』に因んで、「浜木綿の碑」が建てられた。昭和31年6月4日、その除幕式に、宮城道雄と姪の喜代子、数江も列席した。幕を引いて現れたのは、等身大の宮城道雄?の像。顔をゆがめ、壁を探すように手を差し伸べている。いかにも盲人とわかる像に、喜代子、数江は不快感を顕わにした。「宮城先生は、歩かれる時も普通の人と同じです。こんなぶざまな格好はしません!」と、作り変えを要求したそうな。その後どうなったかは知らない。まったく目明きが考える盲人の像と、実際の姿は乖離がある。この20日後、宮城道雄は再び東海道線に乗って関西に向かった。そして、6月25日、刈谷駅手前で、列車から転落して亡くなった。いかに盲人とはいえ、列車のドアとトイレのドアとを間違えるはずはない。というのが事故説を否定する理由のひとつ。さすれば、自殺か他殺!

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