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鳴子の松 

2018年07月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



活発な梅雨前線による記録的な大雨は今日も続いて、西日本を中心に河川の氾濫や土砂災害が相次ぎ広い範囲で被害が出ています。
岡山、兵庫、京都、岐阜県では明日もまだこの状態が続くそうで、警戒が必要だそうです。
又、先ほどは千葉東方沖で震度5弱の地震がありました。
このあたりはこのところ地震活動も多いです。今夜は七夕の夜です。
願い事がかなうならこれ以上大きな被害が出ないことを祈りたいです。
今から300年ほど前、元禄12(1699)年の夏に、私たちの地域を襲った津波の話があります。
「焼津の昔話」にもありますが、代々受け継がれているのでしょう。舅からも聞いたことがあるのは、「鳴子の松」の話です。
その年の8月15日、何日も雨が降り続き、少しも止む様子がありませんでした。
午後6時頃に急に雨が強くなり、突然ドドドドーッと、雷が落ちたような大きな音と、地ひびきがして、山のような大津波がおし寄せてきたそうです。
津波は最初は会下之島(今の小川港あたり)を、続いて田尻村、石津村を襲いました。
人々は、突然の大津波に驚き、石津村の人たちは、西の与惣次の方に向かって逃げました。
若者はおじいさんやおばあさんの手を引き、母親は子どもを背おい、何ひとつ持ち出すこともできず、命からがら逃げたということです。
もう少しで与惣次というところまで来た時、そこに一本の大きな松が生えていました。
村人たちはすぐ後にせまった波から、なんとか逃れようと、争ってこの松の木に登りました。
たくさんの人が、それぞれ思い思いのかっこうで、枝をしっかりにぎってぶらさがり、波をよけました。
そのかっこうが、ちょうど鳴子(鳥おどしに使われる仕かけで、枝に小さな竹筒をつけて、ひもで引いて鳴らす)のようであったといわれます。
それから、この松は「鳴子の松」と呼ばれるようになりました。
鳴子の松と石碑が、旧国道150号線の元消防署のあたりにしばらくあったようで、なんとなく記憶があります。
区画整理事業で植え替えされ、移転したという話を聞きましたが、それからどうなったのでしょう?見かけませんね。
大きな地震と津波が想定されているので、家族で話し合っておくことなども含めて、被害の既成事実を生かす意味でも、いつまでも保存して、受け継がれるといいのではないでしょうか?
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