メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

シニアの放課後

十牛訓−2 序〜A 

2018年08月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 <あっ 俺 もう何もかもわかったような気持で 反省していなかったんだが いやあ こりゃいけない 本当に。だいぶ俺の気持にたるみがきたなあ>という 何か鞭うたれるような気持をこの絵を見た刹那に感じたんです。それからまた改めて1年生になったつもりで修行を熱心にし そのおかげでとにかく今日まで無事に。無事にというより むしろ自分でもびっくりするくらい健康で そして長生きして あなた方と尊い人生をお話し合うような幸福の中に生きられるようになったんです。
 十牛の話をやる気になったのは さっき言ったとおり 新しい会員にはそういうのはいないけど 古い会員に段々怠ける人間が見えてきたんだよ。
 この話はね 禅の坊さんもします。禅の坊さんで 今日 あそこに浜田さんも来てるから 浜田さんがするといいんですよ。この話はね。衣を着て 数珠を手に持って <さて みなの衆 聞かっしゃい>と こういったほうが話しはしっくりいくんだけども。ただね 禅の坊さんの話はとかくわかりにくいんですよ。浜田さんの話がわかりにくいと言うんじゃないんだよ。禅の坊さんの話がわかりにくいんだよ。禅の坊さんというのはね とかく普通の人にはとうていわからないような言葉をさかんに口から出される。
 そこへいくと 今の人が生まれていない時代ですが 私は新井石禅という人の話を聞いたことがあるんだけど あの坊さんの話はわかりやすかった。その時分に有名だった落語家の円朝の話によく似てると思って 円朝に聞いたら <私はねえ 森田悟由さんや新井石禅さんの仏教の話を聞いて その説法のしぶりで私の話をやってるうちに だんだんそんなふうになってきた>と言うんだ。ところが だんだん時代が進んで 今の善の坊主になると わからないことを言うんだよ。本人はわかってんだかどうだか知らないけど ちっともわからない。
 まあ この十牛の教えのごときも 坊さんの話を聞いた人はたいてい <難しいなあ 十牛の話は>と思ったでしょう。今まで難しいと思った人は 今日の私の話を聞かれると なんだ そんなやさしいことかと思う。やさしい話なんだ。この十牛の教えというのはね。それを難しく聞いた人は 禅の坊さんが難しく説いたおかげで それがために 耳を傾けて聞こうとする者が少ないんだろうと思うんだ。それを私は今日 できるだけくだけて話をしてみようと思う。
 そして あなた方の心に引きくらべてみて いま自分は説かれている十牛の何番目に当たってるだろうと 自分の心をためしてみりゃいいだけなんだ。

              *

 このお集まりにはそんな人は1人もいなかろうけれども 牛とは何の牛だということから話をしようね。

〜続く〜



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR





上部へ