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「元徴用工」「従軍慰安婦」問題の根源はこれだ! 「日韓合邦」 

2018年11月07日 外部ブログ記事
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1910年8月22日に韓国併合条約を締結した夜、韓国統監・寺内正毅は「小早川、加藤、小西らが世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ」と得意げに詠んだ。一方、当時24才の石川啄木は、こう憂いを詠った。「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨を塗りつつ 秋風を聴く」
【注】小早川隆景(文禄の役)小早川秀秋(慶長の役)加藤清正(文禄の役、慶長の役)小西行長(文禄の役)

「元徴用工問題」問題で、安倍内閣と政党・政治家や一部のマスメディアは、韓国政府と韓国最高裁に対して「日韓併合」という朝鮮半島の歴史を「無視と無理解」という不遜な態度をとっています。

管理人が「明治150年シリーズ」第一回で、神宮外苑聖徳記念絵画館をガイドしましたが、80枚の絵画の中で「日韓合邦」の油彩画を厳しく批判してきました。改めてこの油彩画をアップします。

(聖徳記念繪畫館壁畫集)より


(壁畫解説)より
 七十七   日 韓 合 邦
古来我國ノ封外関係ハ朝鮮二於ケルヨリ頻繁ナルハナク、近
ク日清日露ノ役亦皆朝鮮問題二起因セザルナシ。而シテ日清
役ノ結果ハ、彼ノ独立ヲ確保シ、日露役ノ結果ハ、統監政治
テ創始シテ、彼ガ施政ノ改善ヲ行ヘリ。然レドモ是等ノ事、
未ダ以テ東洋平和ノ保障タル二足ラズト爲シ、明治四十三年
六月、統監寺内正毅ノ赴任スルヤ、我政府ハ韓國首相李完用
ニ封シ、東洋永遠ノ平和チ保持スル爲、兩國併合ノ必袈ナル
ヲ説カシメシ二、韓國政府之二賛成シ、彼我ノ意思全然一致
シタルヲ以テ、八月二十二日、遂二併合條約ノ調印ヲ了セリ。
越エテ二十九日詔書ヲ發シテ、韓國併合及韓帝王ノ事ヲ宣
布シ、新二朝鮮総督府ヲ設置セラレタリ。是二至リテ兩國全
ク融合シ、東洋平和ノ基礎始メテ確立セリ。
 圖ハ、明治四十三年八月二十九日、韓國併合ノ詔ヲ發セラレシ
 當時二於ケル京城南大門ノ光景ナリ。

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