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たかが一人、されど一人

政党色と個人的意見 

2018年12月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

人は誰にでも個人的見解があり、似たような考えを持つ人間が集まって政党を結成する。即ち個人的考えを社会に反映させるための力を得るためである。徒党を組んで社会的力を得ることは趣味に合わないが当然の行為で、そのことについては誰からも批判されることは無い。しかし政党を構成する人間同士の考え方が完全に一致することはあり得ないだろう。従って日本のように議会における党議拘束なんてことが当たり前になっている国は少ない筈だ。でもそれは仕方がないとして、アメリカの元大統領ジョージ・ブッシュ氏のお葬式に関する報道を観ていて感じるのが、彼の国における政党と個人の関係のありようである。ブッシュ氏は現役時代バリバリの共和党員レーガン大統領の副大統領を8年も務めたそうである。ところが、その後で大統領に就任するも1期4年で民主党のクリントン氏に敗れて1期しか務められなかった。後に息子のブッシュ氏が同じ共和党から大統領に就任したりしたが、一昨年の大統領選挙では民主党のヒラリークリントン氏を応援したとのこと。息子のブッシュ氏がどちらを応援したか聞き漏らしたが、同じ政党人でもトランプ氏の政策は支持できなかったようだ。しかし当然ながらトランプ現大統領は元大統領の死に対し最大の敬意をもって哀悼の意を表明している。また民主党の元大統領クリントン氏やオバマ氏も夫人同伴のうえ神妙な面持ちで葬儀に参列している。国葬ではなかったようだが、報道を観る限りそれに近い丁重な葬儀だったのではなかろうか。先日は仙谷由人氏のお別れ会があった。一昨日妻の1周忌歩応用を終えたばかりなので余計感じるところがあるのだろうが、日本の政党人の葬式のありようを思うとどこか空々しい。沢山人を集めればいいと言うわけでもないだろうし、政治家の弔辞なんて聞いていると、どれも秘書が作文したようなものばかりだ。死して尚、党議拘束されているようで可哀そうに感じる次第である。

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