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義姉の贈り物 

2018年12月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:シニアライフ

整理の悪い、私の戸棚から、本が転がり落ちてきた。

須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」だった。

整理好きの主人は、常々「本を一冊買う前に、まず一冊捨てよう」と言っていた。

確かに、研究者としては、驚異的に本が少なかった。

まぁそれは、分野にも寄るのだろう。

航空学という、新しい学問だからきっと、資料と言えば本よりはコンピューターに収納されているのだと思う。

それに引き換え私は、本屋に立ち寄ると、つい数冊買ってしまう、積ん読派である。

結婚してからは、本箱も次第に整理して、又読むだろうという愛読書のみ、戸棚に積んであるのだが。


須賀敦子、暫くご無沙汰していたなぁ。

これも多分、義姉が時折送ってくれる小包の中に入っていた本だと思う。

義姉は、子育てに忙殺されていた私に、時折、北海道の食料や、素敵なブラウスや、そして新刊書を送ってくれるのだった。

村上春樹の「ノルウェーの森」も義姉の小包に入って居た、単行本だった。

京都の和菓子「柚餅」も、米国に住んでいた頃送ってくれて、幼かった娘には、初めて食べる、忘れがたい味わいだったのだろう。

未だに、娘が来る際は、「柚餅」を準備すればよい、と言う程の好物だ。




須賀敦子。

イタリアに長く在住した、基督教系の文学者らしいけれど、その人生は波乱に富んでいる。

宗教を軸にした繋がりは、往々にして社会的立場を越えるらしいが。

須賀さんによれば、当時は珍しい日本女性だったことも相まって、中々足を踏み入れることもない、上流社会を垣間見たそうだ。

ルッキーノ・ヴィスコンティ達が属する、伝統ある貴族社会。

でもきっと、須賀さん自身の中に、何処か共通する矜持があったからこそ、相手社会も受け入れてくれたのだろうと思う。

さらっと、本当にさらっと伝える、夫ペッピーノ氏の急死に関して、まるで付け足しのように書かれている文章を読むと、胸をつかれる。


大げさをを嫌う、この文化が、洗練さというのかも知れない。

義姉も、実に洗練された感覚の持ち主なのだと思う。


様々な贈り物をしてくれたのに、数十年過ぎて初めて気付く事もあるような、さりげなさである。

さすが、主人の姉である。

「姉をさしおいて、先に逝ってしまった弟」

それは、初めて聞いた、義姉の悲しみの声であった。



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