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昭和2年生まれの航海日誌

  東電は石橋をたたいたか 

2011年06月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



      証券会社の店頭すずめの囀りは、時には退屈
     凌ぎになった。

      「そりゃないよ、石橋をたたいて渡る人だから」
     と一人がいうと、
      「なあ―に、叩いても渡らないさ、金はあの世ま
     で」と笑わせる。

      堅物で、晩年を迎え潮時を見極めて、利回りの
     よい東電に資産株に売り替え、そうして暫くは
     悠ゆうとして、羨望の的でもあった。

      それが今、「東電の再建は法定整理が望まし
     い」との発言もあって、制限値いっぱいの下げス
     トップ安まで急落してしまった。
     どうしているだろう。

      「政府原発不備みとめる、IEAEに報告書」が
     今日のトップ。ぼちぼち真相が見え始めた。

      東電は、福島原発事故発生時には想定外の
     震災と責任を回避しようとした。 しかし、Mw9
     の地震は1964年既にアラスカで発生してい
     たのである。

      世界での地震国日本では容認できないもの
     だった。

      東日本大災害発生のとき、地震が一次、津
     波がニ次、原発事故が三次と寄稿した文を掲
     載した新聞もあったが、デスクを疑いたかっ
     た。

      地震は津波を、台風は豪雨を伴い山崩れな
     どを起こすものである。

      そのことを視点にとらえると、東電は原発が
     動きさえすれば、60年間の稼働が見込め、
     千年に一度の災害には目もくれなかった。

     そのうえ、政,官、学には残り物を録として食
    ませておけばよかったのである。
     民主党は、メーカー、電力会社を捲き込み、
    官民一体となって原発輸出戦略を掲げていた
    のであった。

     東電は漫然と発電を続け、確たる点検もせ
    ずに経営をしていた。
     地震がなくても、原発事故は発生していた
    こもしれない。

     地球上の全生物を滅亡させる脅威の原子力
    については、”万が一 ”を想定するのが必須
    要件であったのである。

     被災者の方には申し訳がないが、現場の作
    業員の被爆は勿論、上屋...

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