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たかが一人、されど一人

大人らしさ 

2011年06月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今月1日の衣替えの日はうすら寒くて、霞が関の衣替えに関する報道は馬鹿見たいだった。しかし昨日今日、梅雨の晴れ間に注がれる陽射しは夏である。街を行き交う人の服装がすっかり夏らしくなってきた。テレビアナウサーの半数程度は、スーツを着ていてもノーネクタイになっている。夏場のノーネクタイやノー上着が許容されるのは、現役時代を思い出すと羨ましい。しかし、霞が関からの報道にあったように、職場にアロハシャツとか、政治家のかりゆしウェアは如何なものだろうか。別にこちらが心配する迄もなく、定着しないだろうと指摘する人もいる。「何故なら、サラリーマンにとって背広は地位の象徴でもあり、暑さの中で我慢しながらでも涼しげにこれを着こなす事が大人であり、暑さに負けて軽装するのは子供とみなす伝統から抜け出すのは難しいだろう。第一カジュアルウェアを着込んだ場合、恰好が様になるのは若い人で、おじさんはまるで様にならない。もしこれで職場の秩序が破壊されず、画家の山下清さんのような格好をした人が出世できるとしたら革命だ。」成程と思う一方で、若干の疑問も生じてくる。近年の世相を思うと、若者文化なるものが持て囃され、小父さんやおばさんが好んで若い人の真似をする傾向が強い。かく言う小生がブログを書く事なぞ典型的なものだ。総理大臣がマンガ本を読んでいる事を自慢してみたりするのも同じ事だろう。逆に子供や若者が背伸びをして、大人の真似をする事が少なくなっているのではなかろうか。従って世の中全体が何か子供じみてきているような気がしてならない。未だティーンエイジャーであった頃を思い返すと、大人っぽさに憧れ、服装なんぞも中学生の頃は高校生の真似をし、高校になったら大学生、大学に入ったら背広を買ってもらいたいと思ったりしたものだ。精神的にも、出来るだけ早く大人になりたいと言った気持が小学生の頃からあった。我々が後輩の見本になるような姿を形作り得なかった報いかもしれぬが、今の青少年にその思いは薄いように思う。いつまでたってもコミックの世界から脱却して行かないのではないだろうか。ご時世だから仕方ないのかもしれぬし、己の事を棚に上げて言えば、現実をきちんと見据え、大人らしい判断や意思決定が出来る人間が少なくなっているのではと心配になる。社会全体が危機的な状況に陥りかけている時、余りに思慮分別を欠いた子供じみたふるまいの大人達、特に政治家の群像を見ているのは悲しい。

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