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明治維新万次郎登用されてれば(歴史に若しはないが) 

2019年01月06日 外部ブログ記事
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幕末〜明治維新2

吹き荒れるテロの嵐
 ☆「桜田門外の変」がきっかけで、日本中で狂信的な攘夷論者によるテロの嵐
 *各地で外国人が殺されたり襲撃されたりする
 ☆京都でも尊王攘夷派の志士たちが「天誅」
 *佐幕派(幕府の政策を支持する勢力)の武士を暗殺するテロ事件が横行した
 *京都所司代や町奉行の手には負えなくなっていた
 *幕府は京都守護職を置き、会津藩にその任に当たらせる
 *容保は頑迷な佐幕派ではなく、テロリストの主張に耳を傾けてやるべきと考えていた
 *志士たちの暴挙は一向に収まらず
 *容保は配下に新撰組や京都見廻組を組織し、テロリストを取り締まった
遣米使節団
 ☆日本の遣米使節団の一行が、日米修好通商条約批准のため、アメリカを公式訪問
 ☆メンバーは、アメリカの軍艦に乗った新見ら77人と、護衛艦の咸臨丸に乗ったの総勢173人
 ☆アメリカ文化に直接触れた使節団の男たちが得たものは計り知れない
 *小栗忠順、勝義邦、福沢諭吉らは後に日本史に大きな足跡を残す
咸臨丸に乗船した中浜万次郎
 ☆中浜万次郎は、幕末史において避けて通れない重要な人物で、幕末の日本を動かした人物
 ☆万次郎ほど数奇な運命を経て、アメリカで民主主義の精神を学び人種差別をも経験する
 ☆日本に帰ることを決意した万次郎は、商船から小舟に乗って、琉球に上陸した
 *藩主、島津斉彬は自ら万次郎に会い、万次郎の語るアメリカの話に真剣に耳を傾けた
 *薩摩藩は万次郎を厚遇し、藩の洋学校の英語講師とした
 *万次郎は土佐に戻り、土佐藩に士分として取り立てられ藩校の教授となる
 ☆黒船来航によって慌てふためいていた幕府
 *アメリカの情報を得るために万次郎を江戸に招き旗本の身分を与えた
 *万次郎は軍艦教授所の教授になり、造船の指揮、測量術、航海術の指導に当たった
 *ベリーとの交渉の通訳に、万次郎ほどの適役はいなかった
 *老中がスパイ疑惑を持ち出したため、役目から降ろされた
 *万次郎が交渉で重要な役目を負っていたなら、日米修好通商条約の中身は変わっていた
 ☆勝や龍馬の先見性と視野の広さは万次郎に教えられたもの
 ☆万次郎は幕末から明治の時代に、アメリカにおける民主主義をよく理解していた人物
 ☆日本は勝や龍馬が思い描いたように動いていく
 *万次郎は幕末の日本に最も大きな影響を与えた1人
 ☆幕府に取って代わった明治政府も万次郎をを重用しなかった理由
 *少年時代に漢文などの素養を身に付けておらず、日本語の文章力に乏しいから
 *日本の官僚的な考え方である
 ☆万次郎が明治政府の要職に就いていたなら、日本の明治はまた違ったものになっていた
欧米列強と日本初めて戦闘する
 ☆慶喜は、将軍の名で「攘夷を決行する」という約束をする
 *アメリカやイギリスと戦争して勝てるはずがないのは、慶喜は分かっていた
 *苦し紛れにそんな約束をする
 *慶喜がそう言わねばならないほどの日本状況(「攘夷こそ正義」という異常な空気)
 ☆外国人に対するテロは志士たちによるものだけではなかった
 *薩摩藩の行列の前を馬で通ったイギリス人の一行を藩士が斬り殺す事件(生麦事件)
 ☆報復のためにイギリス艦隊が鹿児島を襲撃し、薩英戦争が起こった
 *薩摩藩士は善戦し、イギリス軍は撤退する(戦闘による死傷者はイギリス軍の方が多かった)
 *当時、西洋の国々は薩摩藩の強さに驚いた
 *この戦いで薩摩とイギリスの双方が相手の優秀さを認め合い急速に接近する
 ☆長州藩の攘夷派
 *幕府が朝廷に攘夷決行を約束したことを受け、下関海峡を通るアメリカ商船を砲撃した
 *逃げていくアメリカ商船を見て攘夷派の意気は大いに揚がる(フランス・オランダ軍艦も砲撃)
 *翌月、アメリカ軍艦が報復に来て、長州の軍艦を撃沈し、下関の町を砲撃した
 *翌年、イギリス、フランス、オランダ、アメリカが、再度下関の砲台を攻撃した
 *長州藩は四日で砲台を占拠され、すべての砲門を奪われた
 *長州藩は、高杉晋作にイギリスとの講和を一任する
 *高杉は日本の領土をイギリスに渡せば第二の香港になると考え断固拒否した
 (高杉は、イギリスの租借地で「犬と中国人、立ち入り禁止」看板に激怒した)
 *高杉は藩内でクーデターを起こし、長州藩の実権を掌握、藩論を討幕に統一する
薩摩藩も長州藩も、西洋との戦闘によって、近代装備の威力を知る
 ☆薩摩藩は和議を結んだイギリスから近代的な兵器を買い入れる
 ☆長州藩も攘夷の方針を変更してイギリスに接近していく
 ☆このことによって、二つの藩は、討幕の主役を務めることになる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』










明治維新万次郎登用されれば(歴史に若しはないが)
(ネットより画像引用)

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