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神社崩壊4(富岡八幡宮と冨岡家・日本会議) 

2019年04月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



神社崩壊4

 ☆神社のなかに、特定の家が代々神職を受け継いできた神社がある
 *出雲大社がその代表、千家家が今日までその神職になってきた
 *そうした家は「社家」と呼ばれる
 ☆特定の家が神社の神職を世襲する制度、確立されていない
 ☆個々の神社は法人で、社家が所有しているわけではない

「富岡家」の勃興
 ☆明治時代の初め、神仏分離が行われたとき、永代寺の住職は16世の周徹だった
 ☆周徹は還俗し、富岡八幡宮の宮司となる
 ☆その際に姓を必要としたので富岡姓を名乗る
 ☆その後、富岡八幡宮の神職が富岡家の人間によって受け継がれる
冨岡盛彦神社界の重要人物
 ☆冨岡宣永が富岡八幡宮の宮司になった時期は大正から昭和の時代
 ☆冨岡宣永が宮司の時代の関東大震災が起こった
 *富岡八幡宮の本殿をはじめ、多くの建物が焼失した
 *残ったのは、七渡神社と絵馬舎だけだった
 ☆富岡八幡宮本殿の復興のための工事を実施した宮司は冨岡宣永だった
 ☆富岡宣永の跡を引き継いだ富岡盛彦
冨岡盛彦は、神社界の人間として申し分のないもの
 ☆現在神道界で行われている禊作法のもとを作った
 ☆冨岡盛彦が鹿島神宮の宮司になったのは四十歳
 *鹿島神官は常陸国一宮で、戦前の社格では官幣大社の一つだった
 *盛彦は、鹿島神宮が創建二千六百年を迎え、昭和の大造営を成し遂げている´
 ☆冨岡盛彦は、 全国神職会専任理事に就任している
 *茨城県神社庁庁長となり、神社本庁理事となる
 ☆冨岡盛彦は、神社界においては極めて重要な人物
 *神社本庁の事務総長をつとめた
 ☆事務総長とは
 *宗教法人としての神社本庁の代表役員
 *神社本庁を実際に運営していく立場にある
冨岡盛彦日本会議の生みの親
 ☆養父宣永が老齢となったため、富岡盛彦が富岡八幡宮の宮司となる
 ☆富岡八幡宮では、東京大空襲によってすべて焼失しその復興が課題だった
 *冨岡盛彦は、富岡八幡宮の復興にかかった
 *社殿の復興を成し遂げ、社務所や結婚式場も再建している
 ☆盛彦は、富岡八幡宮が戦後に、参拝者を集める基礎を形作ったと言える
 ☆「日本を守る会」発起人代表となって同会設立に尽力した
 *冨岡盛彦は日本会議の生みの親の一人とも言える
 ☆冨岡盛彦が再興した富岡八幡宮
 *その孫が凶行に及んだことは、想像を絶する衝撃であったに違いない
 ☆金満神社の基礎を築いたのも盛彦であった
 ☆富岡八幡宮に集まる莫大な金が惨劇を生んだ
 *なんとも皮肉な事態なのである
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』




神社崩壊4(富岡八幡宮の冨岡家・日本会議)
(『神社崩壊』記事、ネットより画像引用)

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