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たかが一人、されど一人

子供を犠牲にする恥知らずな大人達 

2011年06月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

最近のテレビ報道で取り上げる子供たちの発言を聞くたびに、何事によらず発言内容がしっかりしている事にいつも感心している。婆さんはしばしば「政治家も少し見習うべきだ。」と仰る。ゴルフなんか全くご存じないのだが、石川遼君だけはインタビュ―の受け答えがしっかりしているので、ある意味でファンかもしれない。楽天の田中マー君や日ハムの斎藤祐樹投手なんかもインタビューの爽やかさは同じ事だ。こちらが段々と年を取っているので、若い人が恰好よく見えるのかもしれないが、次世代の人を見る度に夢と希望を託したくなるのは平均的な人情だろう。幸い子供たちは選挙も関係無いし、政治には無関心かもしれない。しかし地震と津波、原発事故は身をもって体験し、悲しい思いや恐怖をたっぷり味わった子も大勢いる。この辛さが早く癒される事を切に願うし、報道で元気な子供の子供の明るい表情が出てくるとホッとする。子供たちはいつも前を見ているし、大人達が自分達を守ってくれている事を信じて疑わないだろう。まさか親たちが地震、津波、原発事故の三重苦に加えて政治の停滞と言う四重苦に苦しんでいる事は勿論理解できないだろう。なのに、政治のありようを見ていると、どいつもこいつも次世代の事なんかまるで無関係で、自分さえよければ、若い子供を生贄にしてもしても構わないと思っているようにしか見えない。思いついたようにエネルギー政策を持ちだした総理については、関連して言及する気にさえならない。子供手当を人質にとって抵抗する野党も同じ事。何とか因縁をつけて、「マニフェストが間違いでした」と言わせたいばかり、やれバラマキだ、所得制限だと騒いでいる。業界団体を通じて何十年も税金をばらまいてきた連中が、恥ずかしくもなくよく言えたものだ。我が娘夫婦なんかも近いのではと思うが、年収800万前後の一見富裕層に見える中産階級の家庭が、如何に子供手当を期待しているかなんて事は想像できないのだろう。更に酷いのはマスメディアだ、<放射線被曝許容限界を決められない>と行政を責め立てるふりをしているが、年間20ミリシーベルトと言う値が如何に危険な数値であるかを記者達が知らない筈はない。行政と慣れ合い記者クラブに安閑としている身からすれば、知っていても余計な事はかかない方が安泰なのだ。いざという時の責任を役所に押し付けて、自分達は責任逃れをしているだけだ。国難だ危機だと騒ぎながら己の保身と権益の拡大に汲々として、国民に対する責任のかけらも感じられない今日の大人達を、今の子供たちは将来になってどのように思うのだろうか?恥ずかしくて身が固くなる思いだ。

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