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のびたの日記

この曲は 想い溢れて 譜も滲む    真白き富士の根に寄せて妹を偲ぶ 

2019年09月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



この曲がリクエストされると 嬉しいような哀しいような複雑な想いにいつも駆られる
それは 『真白き富士の根 』 ピアノ伴奏しているうちに涙が滲み 楽譜も見づらくなる
心が嗚咽しているようで 弾きながら想い出回想シーンが止められない
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明治43年の神奈川県・逗子開成中学校の生徒11名と小学生1名 12名の突風による遭難
これを悼んだ鎌倉女学院の教師 三角錫子が作詞 追悼大法会で鎮魂歌として披露された  
曲はアメリカの牧師で作曲家のジェレマイア・インガルスの讃美歌である
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私の父は 終戦前後の混乱期で必死に家族を守り 鉄くず拾いまでして何とか生きてきた
ただ 飲んだくれで 時には母に暴力をふるい 止める私も殴られてあざの顔で登校したことが有る
それでも50歳頃 兄が行きだした教会に誘われ 以後は真面目なクリスチャン人生であった
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父も母も姉も弟も そんな関係で 通夜 告別式 納骨式でも この讃美歌 『真白き富士の根 』
歌詞は違うがメロディは同じ 何度歌ったことだろう 私にとって肉親の別れの曲である
妹の嫁いだ先は 宗教が違うからこれでは無い 
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私が一報を聞いてからすぐ車で駆けつけた 眠るように妹は穏やかな顔を見せていた
昼間は近所の方と雑談もして元気だったと言う それがソファーに寄りかかったままで息絶える
連れ合いは 最初は昼寝でもしているかと思ったほどだ
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苦しむことなく ぽっくり 私の世代では 理想の逝き方である
突然 居なくなる寂しさはたまらないものもあるが これで良かったねと妹に語りかけた
たまたまキーボードを車に積んであったので 枕元で 『真白き富士の根 』を弾いた
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10年前くらいから 妙に 私と一緒に育った信州の山奥での数年間 ここへ行って見たいと言う
私は その前の年 思い立って一人で車で行ったが 住んでいた家のあとが特定できなかった
今では 7人居た兄弟が兄だけになったが あまり行き来していないが その兄に案内を頼んだ
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そして3人で 故郷を60数年ぶりに訪ねた 兄があそこだよと 今はゴルフ場になって居る一画を示す
そこは 全くの原野だった林を切り拓き 寄せ集めた材木と藁で あばら家を父が建てた
冬は雪が舞いこむ粗末な家 食料が無く飢えて妹と並んで幻覚を見た
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そんな思い出を語り合う兄弟はもう居ない でも元気なうちに連れて行って良かった
亡くなる2.3年前から白内障の予後が悪く 両眼とも殆ど見えなくなってきた
それでも好きなカラオケ大会に出ると頑張っていた カラオケの画面が見えないのである
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グランプリ常連でもあったが クラスを落として一番だけなら記憶で歌えるとエントリーする
亡くなった後のカレンダーを見ると その予定が先の日付にあったのが侘しい
そのカラオケ仲間が通夜式で私も馴染だからすがって泣く 私も号泣してしまった
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母の誕生日は30年も過ぎてえ覚えているのに 命日は記憶にない
妹の場合は9月17日 その3日前に亡くなったから何とか覚えている
私より5歳下 明後日が命日 4年前の話 ブログに綴らないと私の記憶も哀しいことは忘れ去る
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かえり道 諏訪湖SA
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https://youtu.be/gcHMQHpdEyY 真白き富士の根YouTube
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リクエスト33曲
あかとんぼ 旅愁 虫の声 ローレライ どんぐりころころ おさるのかごや
美しい十代 大阪ラプソディ 公園の手品師 サザエさん 蘇州夜曲 少年時代
北上夜曲 旅人よ 悲しき口笛 人生の並木道 真白き富士の根
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花笠道中 芭蕉布 星影のワルツ 故郷の空 ひばりの花売り娘 山のけむり
夢路より 夕陽の丘 宗谷岬 学生時代 湖愁 つばさを下さい サトウキビ畑
三百六十五歩のマーチ 下町の太陽 遠くへ行きたい 
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