メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

葵から菊へ

文京ふるさと歴史館で旧陸軍東京砲兵工廠射撃場内の写真を閲覧した 

2019年11月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「旧東京砲兵工廠射撃場内の写真について文京区に情報公開請求をしました」と11月2日にエントリーしました。
昨日、文京ふるさと歴史館館(文京区アカデミー推進部アカデミー推進課文化資源担当室)室長・学芸員川口明代さんと面談し、川口さんが99年に撮影した写真32枚中から5枚をデジカメで撮影してきました。
今回管理人が文京区長宛の情報開示請求を提出したことから、射撃場跡の管理担当である区みどり公園課と協議し、所蔵写真を「閲覧手続き」によって公開可能となったそうです。


壕を途中で埋めてある。

壕の突き当たりに標的が見える

標的部

天井部


川口さんから、文京ふるさと歴史館館が協力した、発刊したばかりの「文の京平和マップ」を頂きました。








管理人から、2007年8月14日付毎日新聞都内版「戦跡を歩く」のコピーと「新宿区平和マップ」を提供しました。



>文字起こし<

東京ドームや遊園地が集まる文京区の娯楽施設「東京ドームシティ」。親子やカップルが行きかう歩道の脇に古びた「赤レンガ」の塊があった。
 脇には「旧日本帝国陸軍の東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ」と記される。東京ドーム一帯は実は旧日本軍の軍事力を蓄え、供給した一大拠点。レンガはその名残だ。「東京ドームホテル」00年完成)を建てた旧後楽園球場跡地から見つかった。
 古くは江戸幕府が大砲の製造所を設置。明治時代にはフランスから砲兵将校が来日し、小石川の水戸徳川藩邸跡に工場を建設した。日清、日露戦争に兵器を供給し、陸寧の勢力とともに規模を拡大。「兵器技術教育百年史」(工華会編)によると、敷地内には小銃製造所や銃砲製造所などが建ち、兵器使用の技術を学ぶ学校学校施設もあり、下士官候補の学生らが戦車の操縦や機関銃などの扱いを覚えた。
 工廠は1933(昭和8)年に九州に移転。かつての姿はほとんど残っていない。基礎用赤レンガのほかは同区役所近くの礫川公園にある「小銃射的喝」の入り口跡ぐらいだ。
 ボランティアガイドの長谷川順一さん(70)はこれら戦跡を「物言わぬ語り部」と呼ぶ。「未来の人々に戦争を伝えてくれる存在」という言葉を聞き、ひと抱えほどのレンガの塊がもっと大きく見えた。【吉永磨美】



文京区議会の共産党区議団控室に立ち寄り、事務局長に旧東京砲兵工廠射撃場跡の赤煉瓦を見学出来る通路と案内板設置を議会で取り上げてくれるよう依頼してきました。

(了)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ