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葵から菊へ
田中惣五郎著「天皇の研究」から終章を抜粋します。「伊勢神宮の宮司か博物館の館長に」 「千代田城は国立公園に」
2019年11月22日
テーマ:テーマ無し
天皇陛下「親謁の儀」で伊勢神宮外宮ご参拝
「天皇家の神道」と「憲法1〜8条」は一対のものである。
2016年10月18日に>萬世一系と皇室の肉體的衰弱および閨閥「天皇の研究」田中惣五郎著<をエントリーしました。
田中惣五郎氏は「幕末の天皇」、「明治期の天皇」、「大正・昭和期の天皇」、「象徴としての天皇」を研究して記述しています。
「象徴天皇制」廃止と言い切れない限界を感じますが、終章で人間天皇と戦争責任に触れた面白い記述がありますので紹介します。(差別的記述がありますがそのママにします)
・・・・・・・・・・・
だれしも、なにかの形で自由がそくばくされて居り、それが勤労者ほど多いことも知られている。しかし、日本で、近代の天皇ほど不自由であったものはあるまい。天皇以外の仕事につかれえず、――それが、れんめんと子々孫々へまでつづくのだ――千代田城から出る自由がさまたげられ、一歩そとへ出れば、警官の垣根ごしにしか、人の世が見えずたまにあった人は、恐縮するばかりで、腹をうちあけてくれない。この不自然さは、もしかしら、夫婦、親子の間にまで、およんでいるのではあるまいか。家族は別としても、すべての人は、人間らしく応対はせず、はやく天皇の前をさがりたい気が一ぱいで、かしこまり切っているとしたらと、天皇の人間味は目くらになるか、すすり泣きをするであろう。万民を赤子とよびつつ、だれをも相手にできないというさびしさは、普通の人なら孤独地獄におちいりそうである。そして、だれかのしいてくれたレールだけをあるいて行く生活。つまり、万能を与えられているかにみえて、すべての自我を失わねばならぬ生活。これが天皇の生活ではあるまいか。もっとも、われわれ風情のうかがい知らぬ楽天地が、おのずからして存在するのではあろうかが、あったとしても、それは不自然な、非人間的なものであることは想像にかたくないようでである。
筆者はときどき空想するである。天皇一家の職業をいくつか選定する(選定しない方がもっとよいが、過渡的にである)。伊勢神官の神官、これは新井白石以釆の懸案であるが、ちとさびしすざる。しかし、これもよかろう。博物館の館長、これもよい。国立図書館長。あたらしく生れるはずの水族館長。もつと考えたらまだあるだろう。千代田城は、国立公園にして、紀念物的に今の状態を失わぬようにしておいて、天皇家の住居は、青山御所あたりに、堂々たる建物をたてて引越してもらう。気安く庶民ともつきあって、ストリップ・ショ−とまではいわぬが、いい音楽や映画にはブラリと行く(その前に、一度国民にたいし、すまなかつたといつてもらいたい。天皇の責任としてである。天皇が戦争に責任なしとするのは、よくもののわからぬ人か、これを利用しようとする輩である。あの戦争の実態を知り、大元帥であつた天皇に、責任がなかつたら、おかしな話である)天皇一家はなるべく政治に関係しない。政治しすぎた「天皇の系譜」への反逆であると同時に、天皇制的なものを利用する徒にたいして、先手をうつためでもある。それでも、歴史と伝統がものをいつて、みんなはちやほやするであろうが、これは内輪にうけておく。つまり「象徴」というばけものや「認証」という他人の作つたものに判をおす無意味な生活からぬけだして、よき代表的市民としての生活にはいつてもらいたいのである。
過去の「天皇」とぃう幽霊から解放されることである。天皇から人間への解放。それがまた日本の解放の根本義をなすものであるとしたら、なんという偉大な解放であろうか。古代的なデスポット的なものが近代に存在するというこの不合理が、萬能を輿えられて、なに一つ自由にできぬ矛盾を生みだしたのだ。天皇の「人間性」は、今なおこの矛盾の中ですすり泣いているのではあるまいか。
(傍線は管理人)
・・・・・・・・・・・
(了)
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