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インドの歴史2(イギリスの統治・独立・パキスタン分離) 

2019年12月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



インドの歴史2

イギリス統治時代
 ☆イギリスは、インドの綿織物産業を壊滅させた
 *綿製品を送り出していたインド綿製品に関税をかけた
 ☆イギリスは、インドで栽培したアヘンを中国に輸出
 *「アヘン戦争」を起す
 ☆イギリスは、最後の皇帝をビルマに追放しムガール帝国は滅亡させた
 *「イギリス女王ヴィクトリア」がインド女帝を兼任する
 *「イギリス領インド帝国」が生まれた
 ☆イギリスの支配下でのインド
 *イギリスはインドを「分割統治」という方法をとった
 (人種・宗教・地域で全く異なるインドをそれぞれにあわせた政策)
 *知識階級を取り込むため「インド国民会議」を設置した
 ☆イギリスは民族運動の中心ベンガルの力をそぐために「ベンガル分割令」を発した
 *分割は宗教で分けられたので、反英闘争が激化した
 (西をヒンドゥー教、東をイスラム教)
 ☆イギリスは民族運動の影響を少しでもそぐため都をカルカッタからデリーへ遷都した
2つの世界大戦と独立運動
 ☆日露戦争で、アジア日本人が白人国家に勝利した
 *インドでも民族運動から独立への意思が始まる
 ☆「第一次世界大戦」
 *イギリスは、「インド人の自治権」を約束してインドを参戦させた
 *戦後に発令された「インド統治法」は名前ばかりで、独立運動が活発になる
 *「マハトマ・ガンジー」が「非暴力独立運動」を唱えはじめた
 *イギリス軍による無抵抗な民衆を惨殺した「アムリットサル事件」が起きる
 *インド全域の大衆まで独立の気持ちが深まっていく
 ☆「第二次世界大戦」
 *イギリスに非協力で、日本軍の力を借りて「インド国民軍」を結成した
 *戦後インド国民軍の将校たちに対して、反逆罪で裁判をすると各地で暴動が起きる
 ☆戦後力が衰えていたイギリスは、押さえることが出来ず独立を認めた
インドの独立
 ☆インド内では、ヒンドゥー教とイスラム教の信徒たちの戦いが激しくなっていく
 *イスラム教国家としてパキスタンができた
 ☆ガンジー暗殺される
 *イスラム教との融和を言い続けて分離独立に反対していたガンジー
 *狂信的なヒンドゥー教の信徒に暗殺される
 ☆初代首相にネルーがなる
 *政教分離の「世俗主義」を根本において国を統一していく
 *「インド憲法」ができ「共和制」になる
 *根強い身分差別は廃止できず、義務教育も徹底出来なかった
 ☆フランス領インドが返還され、ポルトガル領インドが併合された
インド人民党政権VSインド国民会議政権
 ☆ネルー首相の後、娘の「インディラ・ガンジー」が長期政権を維持する
 ☆パキスタンと3度にわたる戦争
 *東西に分れていたパキスタン
 *インドが支持していた「東パキスタン」が独立
 *「バングラデシュ」ができた
 ☆パキスタンを支持していた中国が核を保持した
 *インドも核保有国となる
 ☆インディラ・ガンジー首相は復権したが、暗殺される
 ☆後任の息子もスリランカの内戦に「平和維持軍」を派遣した報復で暗殺された
 ☆インド人民党政権VSインド国民会議政権
 *現在は「インド人民党」が政権を取り戻して、現在にいたっている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『Wander Trip』




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