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ドモドモ\(´▽`*)(*´▽`)/ドモドモ

野村克也様 

2020年02月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


野村克也様 偉大な方でした 正直 現役時代の頃は ぶらはまだ生まれる前が全盛期と聞いてますし 当時は 強肩強打の捕手と聞いていました 誰も盗塁できない 何を投げてもわかられて 打たれたとか 色んな逸話を聞いてます ボソボソささやき ボヤキ あの長嶋茂雄さんが 現役時代 野村氏とボソボソ漫才をやって ホームラン打ったとか 私生活ではかなり仲が良かったらしいです 初めて知った時は 南海で監督件捕手でした すでに全盛期の力は衰えていたけど かなり優れた監督の様でした あの ID野球の始まりは 1973年の日本シリーズではないかと思います 当時 巨人が 長嶋欠場 堀内不振 で 王を抑え込めば勝てると 思っていたのが 川上監督の方が上手だった って事です 王を確かに抑え込んだけど 伏兵=ピッチャーに 打たれまくった って事です 要は飛車をおとりにして なり歩を数コマ敵陣に入れたような 将棋をやったようなものでした 堀内は2塁打を打つわ ホームランを打つわ 他のピッチャーまでが ホームランを打つって いう事態 川上監督の奇策 ”王をおとりにして目を向けさせれば油断する””王の陰に伏兵を潜ませれば倒せる ”と読んでいたのでしょう 結局は巨人の9連覇となったけど あの日本シリーズは まるで頭脳戦だったように今は思えます  これが 野村監督が名将になるきっかけじゃないかな、、、以後確かに伏兵の活用法を心得てる感じがしたな〜〜 反面”あの奥さん”と”南海のドン 鶴岡親分”には足を引っ張られて 苦労なさったけど これもまた 名将になるための試練だったのでしょう 名将になるためには 足を引っ張るものを打ち負かす必要がありますからね 数々の波乱を超えて 本物の名将となり 野球界に君臨した方です 最近調べたら 巨人に移籍する話があって 承諾迄いったけど 当時の長嶋監督が拒んだとか いろいろな事があったんですね 現役の頃を知らないがゆえに わからないことが多いけど 人間味あふれた方ではないかと 笑える話だけど クレジットカードを持ち始めたばかりの頃 使い方がわからず 散財したとか キャッシュカードの暗証番号が理解できず カードを壊したとか 吹き出す話もあります でも ぶら自身 ”足を引っ張る者”に対する考えというものは 野村さんに学ぶものがあります 奥さんと南海のドン か 奥さんには愛情で示し ドンには冷徹にとことん向き合うかだったな〜〜 現役時代 ドンは”おれがいる限り あいつ(野村さん)は監督にしない”と言ったとか 結局は 両者がいたからこそ 今があるって事でしょうね 今頃 奥さんとドンと会って 毒説かましあってるかも 。。。 さてと ご冥福を祈ります

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