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平成の虚無僧一路の日記

一字金輪仏とは 

2020年06月16日 外部ブログ記事
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鎌倉時代の末頃から現れた「暮露(ぼろ)」は「ボロボロの衣を着ていたからボロ」と一般に思われているが、室町時代の「暮露(ぼろ)」の絵を見ても、白い紙衣に黒の袴をつけ、端正な姿である。決して乞食のボロとは違う。そして『徒然草』には「梵字、漢字、梵論梵論ともいう」と書かれているのだが、これが謎であった。
そこで「ボロン」とは、大日如来の一字金輪の呪「のうまくさんまんだ、ぼたなんぼろん」ではないか。この呪文を繰り返し、また略して「ぼろん、ぼろん」と唱えることで「梵論字(ぼろんじ)」と呼ばれるようになたのではないか。江戸時代には その意味が分からなくなり、ボロを来た乞食のことを「ぼろん児」というようになった。
というのが、私が発見した新説。
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では「一字金輪の呪」とは?「密教で、大日如来が最高の境地に入って説いた真言で、最強の真言」とのこと。大日如来は、密教で「釈迦如来よりも上」と尊ぶ如来。その大日如来の頭上に輝く金の輪だから、最高の威力を発する。一字金輪仏頂の霊験の輪宝によって倒された悪神は、真実の眼を開く仏眼仏母によって善神として蘇るのだという。正に「一切の悪を断じ、そして善を修する」とはこのこと。この呪を唱えれば、「即身成仏できる」というのだからすごい。というわけで、虚無僧が「薦僧」と「暮露」とが一体となったものという謎が解けた。薦僧は密教の「一字金輪呪」を唱えれば「即身成仏できる」という暮露の信仰を吸合したのだ。尺八を吹くことで「この世の一切の悪を善に変える」。そして、虚無僧が被る深編笠を 仏像の頭上に飾る「天蓋」と、おこがましくも称するのは、自らが「即身成仏」した「生き仏」なのだという気心だろうか。「一字金輪」の仏像は、なんと平泉中尊寺に一体有るのみ。その解説によれば、「一字金輪仏頂尊の『一字』とは、真言が、梵字(ぼんじ)の《ボロン》の一字で表されるためで、諸仏の持つすべての徳を一身に集めた最高の仏頂尊を意味する」と。その像を見ると、如来は一切の宝飾を付けないのだが、一字金輪仏頂尊像が頭にいだく「宝冠」は、虚無僧の天蓋に似ているではないか。
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