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平成の虚無僧一路の日記

「スイカ」と「メロン」そして・・・「まくわ瓜」 

2011年08月10日 外部ブログ記事
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8/9 「9」の日は、豊国神社参道で「九の市」。
近郷近在から 野菜、果物、乾物、魚介類まで
たくさんの店が並ぶ。新鮮で安いから、炎天下でも
結構な人手だった。

今日は、「スイカとメロン」を いただいてきた。
今晩の食事は「スイカとメロン」半分ずつ。最高!

子供の頃、父の生家で、「スイカ」や「まくわうり」を、
かぶりついて たらふく食べた記憶が甦る。スイカより
「まくわうり」の方が好きだった。

長円形で、スイカのような縞模様の「まくわうり」は
とんと見かけなくなった。

「かあさん、あの『まくわうり』は どうなったんで
しょうね」

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「まくわうり」が大好きな高僧がいた。

紫野大徳寺の開祖「大燈国師(妙超越宗峰)」。彼は、20年
賀茂の河原で乞食と交わって生活した。「乞食(こつじき)の行」だ。
「乞食の中にいても光るものがある」と、花園天皇の叡聞に達した。

花園天皇は、「彼の僧は、まくわ瓜が好物とのこと。まくわ瓜を
もって妙超を探し出し、連れてくるように」と、役人に命じた。

命を受けた役人が、賀茂の河原に行き、乞食の群れに向かって
「脚を使わずに来た者に、このまくわ瓜をやろう」と云うと、
乞食の中から「手を使わずに渡せ」と答えた者がいた。それが
妙超であると判った。

妙超が花園天皇に対面した時、平伏もせず、堂々としているので、
天皇が「仏法不思議、王法と対坐す」と言うと、妙超はすかさず
「王法不思議、仏法と対坐す」とやりかえした。

これで、花園天皇は 妙超に帰依し、紫野に一堂宇を建立し、
「大燈国師」の称号を贈ったのである。

さて、大徳寺が創建されてから100年後、大徳寺 48世住持と
なったのが「一休和尚」だ。

一休は、大徳寺の開祖「大燈国師」に
心酔していた。大燈国師の100年忌に、着飾った僧侶どもが、
意味も判らずに経を唱え、カタチばかりの法要をしているのを
あざ笑って、「自分は、法要の日、前の晩からずっと美女を
抱いていた」という詩を残している。

これを、水上勉は、「その女は誰か、飯炊き女か」などと
ヤボな詮索をしている。柳田聖山は「美女は中国の古典で
女とは限らず、屈原(くつげん)の故事に掛けたもので、
その美女こそ大燈国師のことだ」と喝破した。

大燈国師のこの「まくわ瓜」の話。「天皇との対面」の話。
その後の「一休とんち話」にも通じているではないか。

「足無しで来い」「手無くして渡せ」
「熟達した落語家は、舌なしでしゃべる」
「熟達した弓道家は、矢無しで鳥を落とす」
「行を究めた虚無僧は、尺八無くして、人々の心を射る」か。

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