メニュー
最新の記事
-
名言名句 第七十七回 岡倉天心 「茶道は、生きる術を授ける宗教なのである」。 -
【日本文化のキーワード】第十回 鬼 -
名言名句 第七十六回 二宮尊徳 「樹木を植うるや、三十年を経ざれば即ち材を成さず」 -
名言名句 第七十五回 千利休 「渡りを六分、景気を四分に据え申し候。」 -
三鷹市民講座「千利休が残した茶の湯の歴史」開講中
テーマ
- カルチャースクール ( 27 )
- キリスト教 ( 4 )
- 中国古典 ( 2 )
- 仏教 ( 1 )
- 俳諧 ( 0 )
- 古典 ( 5 )
- 名言名句 ( 17 )
- 年賀状 ( 1 )
- 旅 ( 2 )
- 日本庭園 ( 1 )
- 日本文化 ( 9 )
- 日記 ( 0 )
- 武士道 ( 0 )
- 禅 ( 0 )
- 翻訳 ( 1 )
- 能狂言 ( 6 )
- 芋焼酎 ( 1 )
- 芋焼酎 ( 0 )
- 茶道 ( 5 )
- 親子で読む古典 ( 1 )
- 読書 ( 3 )
- 道徳 ( 1 )
- テーマ無し ( 5 )
カレンダー
月別
- 2024年03 月( 1 )
- 2023年11 月( 1 )
- 2023年09 月( 1 )
- 2023年05 月( 1 )
- 2023年02 月( 1 )
- 2023年01 月( 1 )
- 2022年11 月( 1 )
- 2022年07 月( 1 )
- 2022年04 月( 1 )
- 2022年02 月( 1 )
- 2022年01 月( 1 )
- 2021年12 月( 1 )
- 2021年08 月( 1 )
- 2021年05 月( 2 )
- 2021年01 月( 1 )
- 2020年09 月( 1 )
- 2020年08 月( 1 )
- 2020年07 月( 1 )
- 2020年06 月( 1 )
- 2020年05 月( 1 )
- 2020年04 月( 2 )
- 2020年03 月( 2 )
- 2020年01 月( 4 )
- 2019年12 月( 4 )
- 2019年10 月( 3 )
- 2019年08 月( 1 )
- 2019年07 月( 1 )
- 2019年06 月( 1 )
- 2019年04 月( 1 )
- 2019年03 月( 1 )
- 2019年02 月( 1 )
- 2019年01 月( 2 )
- 2018年10 月( 1 )
- 2018年09 月( 1 )
- 2018年08 月( 1 )
- 2018年06 月( 1 )
- 2018年05 月( 5 )
- 2018年04 月( 1 )
- 2018年02 月( 1 )
- 2018年01 月( 3 )
- 2017年12 月( 1 )
- 2017年11 月( 2 )
- 2017年10 月( 7 )
- 2017年09 月( 3 )
- 2017年08 月( 3 )
- 2017年07 月( 4 )
- 2017年06 月( 2 )
- 2017年05 月( 5 )
- 2017年04 月( 5 )
- 2017年03 月( 2 )
言の葉庵
【空海の名言】身は花とともに落つれども、心は香とともに飛ぶ。
2020年07月10日
テーマ:名言名句
弘法大師空海の漢詩文集『性霊集』に収められた名言です。
人は亡くなれば、その身は朽ち果ててしまうけれど、その心はかぐわしき薫りとなって広大無辺の世界へと広がっていく。
まずは、『性霊集』の空海の名言を含む章を全文現代語訳にてご紹介しましょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
『性霊集』第八巻(続遍照発揮性霊集補闕鈔) 現代語訳
藤左近将監が亡母のため、三七日忌法要を行った時の願文
先師は、このように仰った。色をはらむのが空であり、空を呑むのが仏である、と。
よって、仏の三密*1はどこかに偏在することなどあろうか。仏の慈悲は天の如く人々を覆い、地の如く人々を載せるのだ。慈悲の「慈」は苦を抜き、「悲」は楽を与えるもの。
いわゆる大師はなにゆえ仏と別者であろうか。アーリヤ・マハー・マイトレーヤ・ボーディ・サットヴァ、すなわち弥勒菩薩に他ならないのである。法界宮に住んで大日如来の徳を助け、兜率天*2に居て釈迦如来の教えを盛んにしておられる。
弥勒菩薩はすでに過去、悟りを開かれているが、人を救うため仮に釈尊の王位を継ぐべく東宮におられるのだ。そして一切の衆生をわが子として塗炭の苦しみから救済される。
この広大無辺なる救済者を何とお呼びすればよいのであろうか。
伏して思うに、従四位下藤原氏の娘であった故人は、はじめ婦人の四徳を磨き、後に仏教の三宝を崇めた。朝には俗世を厭い、夕には弥勒菩薩の浄土を願われたのだ。
たとえ身は花とともに落ちたとしても、心は香とともに飛ぶ。折々に長寿の大椿を登り、しばしば仙境の桃を味わうことを願ったのである。しかしいったい誰が予想できたであろうか。
秋の葉はもろくも落ち、夜の灯はたちまちに消えてしまうことを。
今は花のかんばせを映すこともない、愛用の鏡。この形見を見るにつけ悲しみは深まるばかり。
↓続きはこちら 【言の葉庵】HP
http://nobunsha.jp/meigen/post_241.html
コメントをするにはログインが必要です