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平成の虚無僧一路の日記

昭和天皇も「原爆はやむを得なかった」と 

2020年08月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昭和天皇の原爆投下「やむをえない」発言
SNS上で以下の動画が多く再生され話題となっている。




昭和天皇が広島に原子爆弾が落とされた事について「遺憾には思うが戦争中であることですから広島市民には気の毒だと思うが、やむを得ない事とわたくしは思ってます」 pic.twitter.com/fab9Xt2eIh
? Lawrence (@stehoriado) August 6, 2019



 この動画は、昭和50年(1975)10月31日におこなわれた昭和天皇と香淳皇后の記者会見の様子を編集した動画であるが、会見の席上、昭和天皇が原爆投下について「やむをえない」と発言したことについて、動画が拡散し再生回数が上昇するなかで非難の声が高まっている。  それでは「やむをえない」発言の「真意」は何だったのか、考えてみたい。
昭和50年の記者会見の前提と背景
この記者会見は昭和50年10月31日、日本記者クラブが主催し、それまでと異なり、録音録画が認められた会見であった。そのなかで中国放送の秋信利彦記者が昭和天皇に次のように質問した。
秋信記者 天皇陛下にお伺いいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲を無駄にすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年と都合三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、お伺いいたしたいと思います。
 この質問に昭和天皇は次のようにお答えになった。
昭和天皇 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
秋信記者の質問は、昭和天皇にとって予定外の質問であったため、昭和天皇も困惑しながら回答された。さらに、この記者会見が同年9月30日から10月14日までの初の訪米直後におこなわれたものであることも、発言の真意を理解する上で重要な前提となるだろう。昭和天皇はアメリカ各地で大歓迎をうけ、フォード大統領主催の晩さん会では
わたくしは多年、貴国訪問を念願しておりましたが、もしそのことがかなえられたときは、次のことを是非貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、わたくしが深く悲しみとするあの不幸な戦争の直後、貴国が我が国の再建のために温かい好意と援助の手を差し伸べられたことに対して、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。
とスピーチし、会場は大きな拍手に包まれた。記者会見はこの訪米からの帰国直後であり、昭和天皇としては原爆投下についてあからさまに米国を批判することは、政治的にかなり難しかったことであろう。 会見後、「やむをえない」発言への抗議・遺憾の意を示した広島県原水禁に対し、宮内庁は「ご自身としては原爆投下を止めることができなかったことを遺憾に思われて『やむを得なかった』とのお言葉になったと思う」との回答を発表する異例の措置をとった。 
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