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平成の虚無僧一路の日記

「世界の山ちゃん」のオーナーは経営素人の久美夫人 

2020年08月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




愛知県を中心に、日本全国で68店舗、海外で3店舗を展開している人気居酒屋「世界の山ちゃん」。現在、そのトップは山本久美さん(53)。
実は私は、小学校の教師をしている知人の同僚ということで、保険の仕事で何回かお会いしたことがありました。
山ちゃんの急死
4年前の、2016年8月21日の朝6時――。「世界の山ちゃん」の創業者山本重雄氏が急逝した。
そのニュースを見て、私は「後継者はどうなるのか」と、お子さんもまだ小学生と中学生の子供が3人。久美さんの今後のことを心配していました。
その山本久美さんが、今 68店舗、従業員1,600名を率いる女性社長として、脚光を浴び、週刊誌やテレビに出演、講演会にも呼ばれています。
私の知っている久美さんは、元は小学校の教員ということでしたので、学校の先生に「手羽先屋」のオーナーが務まるのかと、驚きでした。
記事を読んでみれば、なるほどと納得です。
山本久美さん、旧姓・塩澤久美さんは、小学校6年でバスケットボールを始め、名古屋市立守山中学では、バスケットボール部にはいり、2年の時には部長に、1年のときの全国優勝に始まって破竹の3連覇を遂げる。
大学は教職の道を目指して愛知教育大学へ。そして名古屋市立猪高小学校に赴任した。そしてバスケ部を指導して一年後には名古屋市の大会で準優勝。でも小学生には全国大会が無い。そこで『昭和ミニバスケットボールクラブ』を設立。
チーム結成わずか1年目で全国大会で優勝とすさまじい。
その成果は、当然、猛練習と、みんなをまとめ上げ、引っ張っていく指導力だった。
「子どもたちにもよく言っていたんですが、人には役割があると。雑用をする人も必要だし、人のかげになって働くことになる人もいるだろうと。人を適材適所に置くとともに、それぞれの人間が自分の役割をきちんとやっていこうと伝えてきました。苦労している人もいるんだということを常々言い、そういう人をほめたり感謝を伝えたりすることで、みんなまとまっていけたんです」チームによっては、レギュラーを大切にするあまり、荷物持ちやボール拾いはレギュラー外の子どもばかりというチームは少なくない。「うちのチームは、全国大会とか大切な本試合以外はレギュラーが荷物を持たなくちゃいけないと決めていて、バスとか電車に乗るときもレギュラーじゃない子から座らせる。“彼らはあなたたちレギュラーのために(いろいろな雑用を)やっているんだ”と、わかってもらい、感謝を示してもらいたかったから」と。
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そう、スポーツも経営も相通ずるものがある。久美さんは、やはり経営者としての素質を十分に備えていたのだ。
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32歳で山本重雄氏に会い、出会って半年のスピード結婚。教員の仕事を退職し、専業主婦になった。
「世界の山ちゃん」は着実に業績を伸ばし、順風満帆の日々。それが突然の不幸。まさかの夫重雄氏の急逝。子供はまだ小中学生。
周囲からいろいろ言われたが、夫の死後一週間で社長就任を決意。
専業主婦の時も、お店のかわら版『てばさ記』は手伝っていた。小学校の学級新聞の延長と。       

                                                                 重雄さんが亡くなった後に最初に出した『てばさ記』                     お客さまへの感謝が綴られ、楽しげな作りになっている(写真:週刊女性PRIME)

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「社員から、“こんなときですから今回はお休みしましょう”と言われたんです。私は“それはお客さまへの配慮?それとも私への配慮ですか?”と。私は“私への配慮ならばいらない。私は書きます”と答えました」完成した第190号は、“山ちゃん天国へ!ありがとう山ちゃん”と銘打たれ、お客さまや関係者すべてに感謝を伝えるとともに、重雄さんの魂と精神を受け継ぐことを伝えるもの、すなわち、久美さんが代表を引き継ぐことを宣言するものとなった。
「書いていて、主人への思いが半分以上だったとは思いますけど、会社への思いやお店への思いが、自分が思っていた以上にあったんだと感じて。今は私が(代表を)やるべきだと思ったんです」
数日後、久美さんが本社3階の会議室に幹部十数人を集めた。そして、
「“私は経営はまったくわからない素人です。だから、ちょっと年をとった新入社員が入ってきたと思って一から教えてください。どうか力を貸してください”と――」
「ありがたかったです。知らない人が来て社長になるよりうれしかったし、安心しました。会長の遺志を受け継いだ社員が大勢いましたから、“ちゃんと継続していける” そう思いました」と社員一同の声。
代表となることを選んだ久美さんの頭に浮かんだのは、バスケットで全国制覇を成し遂げたときの経験と、クラブチームの監督として異例のスピード優勝を遂げたときに悟ったこと。すなわち、全員がまとまってそれぞれの役割を果たす大切さだった。
経営スタイルの現れの1つが社員のスペシャリスト化。兼任が多かった職務を、営業なら営業、企画なら企画と、それぞれの役割に専念させる体制に改革したのだ。
「会長のときは思いつきでドンドンやっていたと思いますけれど、これからは社員がそれをやらなくちゃ。それぞれが考えて行動して、責任をとる行動をしなさいと、常々言っています」
「以前はよくも悪くもトップダウン。会長に喜んでもらうことをするのが目的でした。今は“会社のためになることをする”が目的です」と社員。
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さて、ご多分に漏れず『世界の山ちゃん』も新型コロナウイルスに翻弄された。
自粛勧告を受けての休業で、売り上げは前年比で9割減。だが、休業中も給与は全額を補償、社員の生活を守った。
「お店がいいときは、社員さんアルバイトさんにやってもらっているばかり。苦しいときこそ、先代が残してくれたお金を使って生活を守っていってあげないと」
休業中は社員有志とマスク作りに励み、2200枚の手作りマスクをNPOに寄贈したという。
パチパチパチ

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