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兵庫県南部の島

流人の天皇の墓地の一つ 

2020年09月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

47代の淳仁天皇は恵美押勝の乱に関係したと孝徳上皇・称徳天皇の頃に淡路島に流されたと言う天皇だが、逃げ出そうとした翌日に亡くなってしまい、淡路島のどこかに埋葬されたと言うのだが、宮内省は淡路島に3か所の陵墓を設定している。
近々に仲間とこの淳仁天皇に関係する場所を探訪する計画をしている。
最大の陵墓は南あわじ市の賀集にある「淡路陵」、一時的に死体を埋めた「丘の松」天皇の母の「当麻山背陵」が宮内省管轄の立入禁止となっている。

これ以外に、大炊神社と言うのもあり、天皇の死体を埋めた場所として、今でも埋葬場所に蓆をかぶせてお祀りされている。今日はその大炊神社に車で行けるかどうか確認に行った。農家の集落の中にあり道が狭いからだ。

他にも、埋葬地の伝承地は淡路市の一宮の多賀にもある。

淡路島の住民でもそんなに知られたものではないが、「淡路陵」だけは国道が近くを通るから知られている。

他にも早良親王も流人の罰を受けて、淡路に着く前に亡くなってしまい、死体だけが、淡路島の北部の山の中に埋葬された。

孝徳天皇は女性、淳仁天皇を廃帝にして、称徳天皇になられた方で、弓削道鏡が関係する。
早良親王は桓武天皇の長岡京に関係する親王だが、淡路島の伝承・歴史と日本の通説と差があるかもしれない。



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