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葵から菊へ
昭仁天皇の「譲位」(生前退位)は男系天皇を続けるために熟慮に塾濾を重ねた。
2020年11月12日
テーマ:テーマ無し
「あしべの自由帳」の記述を紹介します。
『今日明日にも天皇制を廃止することができないからといって、天皇制廃止の声を上げるのが無駄だということは決してありません。今日明日にも天皇制を廃止することができないからといって沈黙してしまっては、いつまでも反民主主義的な差別制度である天皇制を廃止することはできないでしょう。「雨垂れ巌を穿つ」、すなわち、たとえわれわれ人民一人ひとりの力が微力であっても、力を合わせて声を上げ続ければ、必ず天皇制という巨大で頑強な「巌」に亀裂を入れることができるはずです。そして、亀裂を入れてしまいさえすれば、本当は「さざれ石」を「日本帝国主義」という結合剤で固めた粗悪なコンクリートにすぎない「巌」を粉砕することも決して不可能ではないはずです。』
管理人は大嘗祭跡を二時間待ちして皇居東御苑で見学したが、「天皇人気を我々はどのように考えたらようのでしょうか。天皇人気に肖った安倍内閣は桜の会問題があっても支持率はそんなに下がりませんね。」と友人の歴史研究者Kさんに尋ねた。「仰る通りです。しかし、人類史から見れば、君主制の時代の方が絶対に長いのです。人類が君主という迷妄から目を覚ますのはもっと先でしょう。藤原氏から安倍首相に至るまで時の為政者はこの迷妄を利用する方が便利なんだと思います。日本ばかりではなく、先進国のイギリス、オランダ、スエーデン、ノルウェー、デンマークなども民主主義との両立を図りつつも、依然として<立憲君主制>という君主制の変種から抜け出ることができません。人類はまだ幼年期なのです。」と答えてくれた。成る程「迷妄」なのか。だからと言って日本共産党が「即位の礼の賀詞決議」に賛成することはありません。「迷妄する国民」を覚醒させることが、革新政党と政治家に求められていると考えています。<ブログ記事>(天皇を敬う人々の行列、数十万人の大嘗宮見学を考える。『人類が君主という迷妄から目を覚ますのはもっと先』)
首相官邸公式ホームページから
秋篠宮さま、立皇嗣の礼 国の代替わり儀式全て終了
「立皇嗣の礼」を天照大神に奉告、伊勢神宮で奉告祭
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徳仁天皇の弟文仁親王を皇嗣と宣言する儀式が8日に終了し、昭仁上皇の退位、徳仁天皇の即位に伴う憲政史上初の国の儀式はこれで全て終わった。この一連の儀式は、昭仁天皇が男系天皇を続けるために熟慮に熟慮を重ねて断行したのが「譲位」(生前退位)だったと、考え抜いた末の結論である。
2016年(平成28)8月8日NHK・民法の地上波テレビ各局で急遽編成された特別番組内で「おことば」が放送された。「おことば」の中で昭仁天皇は「憲法上の制約により、具体的な制度についての言及は避ける」と述べていたが、「加齢による体力の低下から、象徴としての職務を勤め続けることが困難になりつつあり、そのため、生前退位(当時の皇太子徳仁親王への譲位)の意向をにじませる」と報道される。そのほか、「おことば」では摂政を置くことには否定的であり、身体不良時の社会の自粛傾向や長期の葬儀関連行事による負担にも触れられており、それらも含め、象徴天皇の務めに対する国民の理解を求めていた。宮内庁は「生前退位」の歴史資料として「光格天皇の場合」を発表していた。天皇・皇后の被災地や激戦地パラオ共和国ペリリュー島訪問は国民から好感を持たれ、「象徴としての職務を勤め続けることが困難になりつつ」ということで、国会では共産党までも賛成した「皇室典範特別法」の成立で「生前退位」の実現はスンナリと進捗してきて、「立皇嗣の礼」が終了したのである。
天皇昭仁は、皇太子徳仁と雅子妃の子供は愛子親王一人なので「女性天皇」もと諦めていた時期があったと考えられる。しかし次男の文仁親王に男の子悠仁親王が誕生したので相当喜んだと考えられる。「皇室典範 四 皇次子及びその子孫」である悠仁親王を「皇統に属する男系の男子」とするには、自分が「譲位」して次男文仁親王を「皇嗣」にすればと熟慮に熟慮を重ねたと推測している。美智子皇后の賛同を得たのちは、宮内庁長官を通じて政権中枢や内閣法制局とも法制上の相談もしてきたに違いない。
憲法第二条「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」皇室典範「第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」「第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。一 皇長子 二 皇長孫 三 その他の皇長子の子孫 四 皇次子及びその子孫 五 その他の皇子孫 六 皇兄弟及びその子孫 七 皇伯叔父及びその子孫 2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。」「第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」「第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」
(了)
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