メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

12月14日は「赤穂浪士討入の日」 

2020年12月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



12月14日は赤穂浪士討ち入りの日赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、元禄15(1702)年の12月14日。事件後すぐ人形浄瑠璃の演目となったが、幕府は即刻上演を禁止している。そして、事件から半世紀ほど過ぎて、赤穂事件を室町時代の事件とし、登場人物の名前も変えて作られたのが「仮名手本忠臣蔵」。この頃は 虚無僧の全盛期だった。「仮名手本忠臣蔵」の九段目『山科閑居の段』のサブタイトルは「恩愛鶴の巣籠り」。
前年の3月14日、殿中松の廊下で塩冶(えんや)判官(浅野内匠頭)が吉良上野介に刃傷に及んだ時、制止した加古川本蔵が虚無僧となって山科に閑居する大星(石)内蔵助を訪ねる。
そこには、本蔵の妻の戸無瀬と娘の小浪が先に来ていた。
歌舞伎では、加古川本蔵の娘小浪(こなみ)と大星力弥(大石主税)が婚約していたという設定。本蔵の妻娘は「婚約したのだから、早く結婚させてくれ」と頼みにくるのだが、由良之助の妻お石が、「主君判官の刃傷を止めた加古川本蔵が憎い。祝言には本蔵の首をもってこい」と無理難題を突き付けて追い返そうとする。戸無瀬が、「結婚できないのならば ここで母娘ともに自害するしかない」と、娘を手にかけようとする。

すると戸外で虚無僧の吹く尺八の音。
「あれは『鶴の巣籠り』。鳥類でも親は子を慈しむのに、人はなぜ、親が娘を殺すのか」と。そこへ虚無僧の本蔵が「ご無用」と声を発し「本蔵の首差しあげよう」と入ってくる。ところが、本蔵は「主君の仇を討つことを忘れ、遊興にふけっている なまくらな大星の妻なんかに、わしの首はとれまい」と悪態をつき、お石を組み伏せる。そこへ、力弥が飛び込んできて、母上危うし!と 槍で本蔵の脇腹を突く。そこで、すべてを見知った大星由良之助が登場。ここからが涙涙だ。本蔵は「塩谷判官を止めたのは、娘の婚約者大星力弥のお家が取り潰しになっては困る」と、娘可愛さの行動だった。それが裏目に出たのだから、力弥に恨まれても仕方がない。力弥の手にかかって死のうと覚悟してきたのだ。

?
一方の由良之助の妻、お石は、力弥と小浪を結婚させてやりたいが、いずれは主君の仇を討ち死ぬ身。すぐに若後家になる運命が不憫とこの縁談を破棄して、帰したかったのだ。双方の思いに、観る者は心打たれ、涙する。大星由良助は加古川本蔵の虚無僧装束を身にまとい、虚無僧姿で江戸へ向かう。「仮名手本忠臣蔵」は虚無僧がキーパーソンなのだ。
虚無僧の吹く「鶴の巣籠り」という曲が一般にも知られていたようだ。浄瑠璃では「(鶴の)巣籠り地」という手を三味線で弾く。だから「鶴の巣籠り」という曲は義太夫が先ではないかという説もある。「忠臣蔵」で「鶴の巣籠り」は誰でも知る曲となった。そして虚無僧ブームに火が付いたと、私は考えている。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ