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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

「3.11」あれから10年 

2021年03月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


朝に「パンダ」について書いてから、何故かブログが書けなくって・・ 最も明日は2月の地震でエコキュートの銅管が折れて、修理して貰ったが「応急処置」だったらしく、明日の9時頃から息子の会社の方が来られると連絡があったから、今日は左足親指の処置用の消毒剤など貰いに行き、買い物もして来たから12時を過ぎていた  結局エコキュートの銅管もあの震災で傷がついたが、何とか先日までもっていたと(折れた部品を見てそう感じだったと思った)・・ 停電でテレビは映らずまだガラケーだったが、携帯が繋がらず私には何の情報も入ってなかった  仏間と自室も間の敷居に仏様の花瓶2本抱いて、座り込んでいた(立っていられなかった) 程なく帰宅した嫁さん「お母さん良かった」って、買い物レジに並んでいたがそのまま車に飛び乗って帰って来たらしかった  我が家は今住んでいる自宅は大きな被害がなかったが、震災後からだね玄関ドアが重い時があり二度見てもらったが、外してみてもらうことになっている  嫁さんに「元の我が家に行ってみて来る」って言ったら、お願だから行かないでって言われたがすぐ帰るで行って見たら道路に半分が陥没していた  行ってっ間もなくワゴン車に乗って来たお姉ちゃんに、「水がそこまで来ていますよ」って言われて慌てて帰ったが、流されて命を亡くすことはなかっただろうが、車は水没だったかも・・ ヘリコプターから何か言っているが聞こえないから、津波が襲っていたのも知らなかった  電気が点いたのは4日目の朝だったから、意外と津波の映像は見てなかった  テレビが映ったら「瓦礫の山」ばかりだったが、親戚などでも命を落とした人は幸いいなかったのだけは良かった  夫の実家は閖上の向かい側だから、家は勿論土台も半分無くて玄関のタイルで分かった  元の我が家は一度リフォームした時吹き付けの壁に、上からサイディングを張ったから罹災証明書を貰ったら「一部損壊」だった  結局三度調べて貰って「床下浸水・大規模半壊」だったが、翌年1月だった  解体して貰ったが家の中には家財道具がほぼ全部入っていて、何時でも生活できる状態だったが壁が抜けたり、浴室のタイルはかなりの損壊  解体は翌年の4月だったが一年がかりで、中の物はすべて空っぽにしたから一人で良く働いた(あんなに働いた年はなかった) 宮城県沖地震(昭和53年月12日)と二度家を失った  ネットを通じたお友達など多くの方に本当にご心配を頂いた  携帯が通じてブログに「私は大丈夫です」ってだけ書いたが、それで安心したって言われた   これからの災害は私は満足に動けないから、家にいた時なら家から移動しないつもり  ブログ村に登録しておりますので、「ポチッ」と応援いただくと励みになります。

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