メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

葵から菊へ

青沼 陽一郎氏の論考「目的の曖昧さと二重性は、ミッドウェー海戦の失敗に通じることだ」 

2021年05月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎氏は「ワクチン貧困国の日本、国民は活動自粛、来日選手にはおもてなし」の中で、『目的の曖昧さと二重性は、70数年前の敗戦へと戦局を大きく変えたミッドウェー海戦の失敗に通じることは、以前にも書いた。ミッドウェー島の敵の基地を攻撃することによって、攻略することを優先するのか、それとも、援軍に出撃してきた米太平洋艦隊の空母部隊を撃滅するのか、本来の目的を見失って、航空部隊の攻撃準備を二転三転させているところに、敵空母から発艦した急降下爆撃機の攻撃を受けて、連合艦隊の主力大型空母4隻を失う。これがターニングポンインとなって日本は戦争に負けた。このことは、感染を抑止しつつ経済を回すとするGo Toキャンペーンの失敗に通じる、とあらかじめ書いてきて、まさに今日のこの状況がある。』
靖国神社・遊就館展示室13「攻防の転換点」に「ミッドウエー作戦」の説明があります。
ガイドの時は『山本五十六元帥は「是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。」と首相近衛文麿に言いましたが、勝った勝ったの開戦後、僅か半年のミッドウエー作戦で空母4隻、飛行機372機喪失と書かれています。戦闘機パイロットの育成は大変困難だと言われています。この展示室の最後には特攻作戦の展示がありますが、特攻機は短期育成のパイロットにせざるを得ませんでした。』と説明しています。(昨年7月1日より館内の説明は不可となりました。)
遊就館図録より
ミッドウエー作戦 太平洋の制空権を賭した日米機動部隊の決戦
「昭和17年6月5日のミッドウエー作戦は、ミッドウエー島への空襲や基地航空隊の迎撃に追われ、この間米空母発見の遅れや爆弾の再三の搭載変更などの錯誤が重なり、痛恨の敗戦となった。海軍は航空戦力の根幹であった空母4隻と372機の搭載機及び熟練搭乗員を失った。その打撃は深刻で、攻防転換の最大の原因となった。」


(了)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ