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アスベスト裁判原告団長小野寺利孝弁護士は、日本政府の責任を求めた遺棄毒ガス訴訟でも活躍してきた 

2021年05月20日 外部ブログ記事
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昨日の朝日新聞一面に、首相官邸で建設アスベスト訴訟の原告と面会し、謝罪する菅義偉首相の写真が大きく掲載されました。原告弁護団長として面会に立ち会った小野寺利孝弁護士の姿が見えました。小野寺弁護士が首相官邸応接室に入ったのは、2003年9月29日東京地裁で日本政府の責任を認める遺棄毒ガス勝利判決の時と二度目となるはずですが。
左から三人目が小野寺弁護士。

小野寺利孝弁護士の生い立ちや活動については「弁護士の肖像」をご訪問下さい。文末の『※12/1995年8月に「中国人戦争被害賠償請求事件弁護団」創設(当時幹事長小野寺氏、現団長代行)。731・南京虐殺・無差別爆撃事件訴訟、山西省戦時性暴力被害訴訟、海南島戦時性暴力被害訴訟、平頂山事件訴訟、中国人強制連行・強制労働事件における全国10地裁での訴訟、旧日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害訴訟、8・4チチハル遺棄毒ガス弾被害訴訟などを指す。』の中から「旧日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害訴訟、8・4チチハル遺棄毒ガス弾被害訴訟」の画像をご紹介します。画像は「毒ガス被害者をサポートする会」事務局長だった管理人が撮影。看板文字も管理人が作成。「サポートする会」は解消して「化学兵器被害解消ネットワーク」となっています。
2003年9月29日東京地裁で日本政府の責任を認める遺棄毒ガス勝利判決後の翌日、原告団は直ちに首相官邸応接室で国側と交渉しました。東京地裁前の泉澤章弁護士、藤澤聖弁護士、支援者山本さん。

左から、原告李臣(故人)さん、社会民主党衆議院議員中川智子さん(前宝塚市長)、小野寺利孝弁護士。

左から、原告李臣(故人)さん、衆議院議員中川智子さん、小野寺利孝弁護士、南典男弁護士、ABC企画代表矢口仁也(故人)さん

国会内の判決報告集会。左から二人目が小野寺弁護士。

東京地裁2階の司法記者クラブで記者会見する原告団と弁護団。左から山田勝彦弁護士、小野寺弁護士、南典男弁護士。

在日中国大使館を訪問し、一等書記官に要請書を手渡す弁護団。左から小野寺弁護士、山田勝彦弁護士。

毒ガス裁判をマスメディアが取り上げてくれました。小野寺弁護士が顧問をしている会社の社長戸口好太郎(故人)さんが、新聞記事を見て、「実は敗戦の時に毒ガス弾を中国に埋めてきたのです。」と証言してくれました。早速中国人遺棄毒ガス被害損害賠償請求弁護団は、関東軍第16野戦兵器廠時代の戦友小林利男(故人)さんも同行して中国吉林省敏化市の現場調査に向かいました。
雨中の現場で、小林さんと戸口さんから証言を聞いている小野寺弁護士。

左から二人目が小野寺弁護士。

東京地裁前の入廷行進。左から中国人被害者を支援する会事務局長大谷猛夫さん、ABC企画代表矢口仁也さん、小野寺弁護士。

毒ガスを製造していた広島県大久野島で毒ガス3弁護団のフィールドワークと学習会が行われました。左端が小野寺弁護士。

「二度と同じ事件があってはならない」と語る小野寺利孝弁護士。

(了)
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