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「周知されていない埋蔵文化財包蔵地」について(仮称)品川駅北周辺地区1街区、2街区、3街区、4街区開発事業環境影響評価書に関する陳情 

2021年06月22日 外部ブログ記事
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「(仮称)品川駅北周辺地区1街区、2街区、3街区、4街区開発事業環境影響評価書に関する陳情」を郵送しました。
東京都環境影響評価審議会委員、内閣府品川駅・田町駅周辺地域担当課、文化庁、東京都教育長、港区教育委員会等の関係機関にも「写し」を郵送しました。
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東京都知事小池百合子殿? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 2021年6月22日? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 長谷川順一? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ???(仮称)品川駅北周辺地区1街区、2街区、3街区、4街区開発事業環境影響評価書に関する陳情【陳情の要旨】(仮称)品川駅北周辺地区1街区、2街区、3街区、4街区開発事業環境影響評価書事業地(住所港区芝浦四丁目、港南二丁目、高輪二丁目の各一部)の事業者東日本旅客鉄道株式会社は、調査項目・事項に「東京都環境影響評価技術指針」の「周知されていない埋蔵文化財包蔵地」がありません。よって予測・評価に不備がありますので、再提出するように事業者の東日本旅客鉄道株式会社に指導してください。
【陳情の理由】東京都環境局「東京都環境影響評価技術指針(付解説)東京都環境影響評価事後調査基準」に下記の調査事項があります。?『調査事項は、対象事業の種類及び規模並びに地域の概況を勘案し、対象事業の実施が文化財等に及ぼす影響を適切に把握し得るよう十分に配慮して、次に掲げる事項のうちから予測及び評価を行うために必要なものを選択する。?ア 文化財の状況?文化財の状況は、次に掲げる事項のうちから予測及び評価を行うために必要なものを選択し、調査する。?イ 周知されていない埋蔵文化財包蔵地の有無2 「イ 埋蔵文化財包蔵地の状況」? 周知されていない埋蔵文化財包蔵地とは、埋蔵文化財の存在は確認されていないが、存在の可能性が高いと判断される土地をいい、この場合は、埋蔵文化財の存在の可能性のある土地の範囲、地形及び土地利用の状況を調査する。? 調査に際しては、調査地域を所管する教育委員会、所有者、管理者等の意見を参考にする。』
過日、東京都環境局総務部総務課より「東日本旅客鉄道株式会社の東京都環境局開示請求行政文書」が到達しました。カラー533枚、モノクロ406枚、合計939枚。
土地利用の履歴等年表を見ると昭和4年(1929年)には国有鉄道品川ヤードが本格的に運行していることが分かります。東日本旅客鉄道株式会社が環境局に提出した図面から、環境汚染地区を地歴調査によって正確に把握していたことが分かります。築堤部分は非汚染地区となっています。「土地利用の履歴等年表」年 代 ?      対象地の土地利用状況 ?    対象地の土壌汚染の可能性    根拠資料*安政6年(1858年):対象地は海となっている。:土壌汚染の可能性は考えにくい。:古地図安政6年*明治9年(1876年):対象地に線路及び停車場が表記されている。:土壌汚染の可能性は考えにくい。:古地図明治9年*明治13年(1880年):対象地に線路及び乗車場が表記されている。:土壌汚染の可能性は考えにくい。:旧版地図・明治13年((財)日本地図センター発行)*明治42年(1909年):対象地に線路及び品川駅が表記されている。:土壌汚染の可能性は考えにくい。:旧版地図・明治42年((財)日本地図センター発行)*大正8年(1919年):対象地に線路及び品川駅が表記されている。:土壌汚染の可能性は考えにくい。:旧版地図大正8年(国土地理院発)*昭和4年(1929年):対象地に線路及び品川駅の建物が表記されており、旧検修庫の建物が確認できる。:土壌汚染の可能性は否定できない。:旧版地図昭和4年(国土地理院発行)
「国立国会図書館「鉄道省年報 大正10年度 第三章 改良工事」に『前年度ヨリ鐵道施行二係ル東海道線新橋驛保土ヶ谷間改良工事ノ内(略)品川埋立擴張工事ハ停車場擴張残工事ヲ了へ其ノ全部ヲ完成セリ、』とあり、大正10年(1921年)の3線から6線への拡張工事によっても残存していた。」と考えられます。

明治22年(1889年)に東海道線が全線開通し、明治34年(1901年)には山手線が開通していて、築堤上は道床と線路が敷設されています。更には東京湾側を広大に埋め立てて、品川駅ヤードが運用されています。(「汐留・品川・櫻木町百年史」の写真を参照。)よって、築堤は壊されてはいません。

昭和60年(1985年)度「汐留駅周辺地区総合整備計画」の「汐留地区土地区画整理事業」の所謂「行政発掘」として始まりました。汐留駅再開発の発掘調査の経緯を見れば「高輪築堤」の存在は考古学上からは明らかになっていた筈であり、「周知の埋蔵文化財包蔵地」に指定してこなかった文化庁・東京都・港区の「行政の不作為」を指摘せざるを得ません。「〜レールはつづく〜」のですから明治5年我が国初めての鉄道が開通した始発駅新橋停車場から線路は本芝町で海中に線路を敷設した「高輪築堤」の存在は、工部省、逓信省帝国鉄道庁、鉄道院、鉄道省、国有鉄道、そして東日本旅客鉄道株式会社という国家機構として記録されているのは当然と言えます。そもそも「高輪築堤」は、文化財保護法による「周知の埋蔵文化財包蔵地」に指定するかどうかの問題ではありません。『高輪築堤が日本の近代化遺産として21世紀における最大の発見と位置付けられること。文化史の上からも土木工学史の上からも、世界的な意義と価値を有すること。東アジア最初の鉄道遺跡であることも併せ、十分に世界文化遺産に値すること。』(日本イコモス国内委員会)として、東日本旅客鉄道株式会社が社是として位置づけ、国民の負託に応えるかどうかであります。
品川区立品川歴史館は「鉄道開通140周年記念:品川歴史館特別展『品川鉄道事始ー陸蒸気が品川を走るー』を開催した2012年10月時点で「高輪築堤」を文化財遺跡と認識していました。

「図録:品川鉄道事始ー陸蒸気が品川を走るー」裏表紙
2019年5月に「築堤の残存状況を確認する試掘調査を実施しました」という東日本旅客鉄道株式会社の言い訳は真っ赤な嘘で、「高輪築堤は、日本の鉄道の出発点を示す施設であるとともに、日本の近代化の原点を物語る施設です。日本の近代化を語る上で最も初期の、最も重要と思われる鉄道遺構」(日本イコモス国内委員会)の存在を知り得ながら、それを破壊して開発ビルを建設しようと企む東日本旅客鉄道株式会社の企業姿勢に対して心底から怒りを覚えています。? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 以上?>追記<陳情に対する回答は、文書でお願いします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(了)

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