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人生いろは坂

終戦記念日 

2021年07月21日 外部ブログ記事
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日本は70数年前の太平洋戦争においてアメリカと、
その連合軍との闘いで完膚なきまで叩きのめされ、
ついには無条件降伏をした。

当時の傲慢なまでの日本帝国の軍隊では全面降伏など
考えられないことであった。
しかし、それを受け入れざるを得なかったほどに、
日本が追い詰められていたことは、軍のほんの一部の人間しか
認識していなかった。

完全に洗脳されていた大半の国民は、玉砕を合言葉に死ぬまで
戦うことを本気で考えていた。
焼夷弾による本土爆撃により多くの都市が焼き尽くされ、
更に広島、長崎には原子爆弾と言う、とてつもなく破壊力の
大きな爆弾が容赦なく投下された。

当時の我が国の技術を結集して作った戦艦大和も、武蔵も
アメリカ空軍の猛爆の前にあえなく沈没して果てた。
結局、多くの日本国民が軍事教育によって盲目的に
踊らされ、率先して死んでいった。

また言論を封殺され、軍の批判でもしようものなら容赦なく投獄され、
果てはひどい拷問を受けて死んでいった。

もしもであるが日本が勝っていたら、あるいは連合軍と停戦協定でも結び、
日本軍が温存されていたとしたら、戦後の日本はどうなっていただろうか。
きっと北朝鮮以上に閉鎖的な国として、基本的人権や自由平等などは
あり得なかったに違いない。

その意味において犠牲は限りなく大きかったが、敗戦国になり
アメリカの統治国になって良かったのかも知れない。
また、アメリカの統治国になったことが、ドイツのように
米ソ両国により分断されることなく一国として戦後を
生きていくことが出来た。ある意味、幸せなことであった。

戦後70年以上が過ぎ、太平洋戦争は遠い過去のものに
なりつつあるが、当時のままの軍事政権下にあったとしたら
国民皆兵は続き徴兵制度が敷かれていたであろう。

戦後といえども軍事力を有していれば70年以上もの
平和はあり得なかったに違いない。
国民は20歳になれば徴兵検査を受け、必ず軍隊に入隊しなければ
ならなかったはずだ。

また、天皇も明治憲法の延長線上にあって、大元帥としての
地位は温存され、軍事と政治の両権力を持たされ、
その重責に苦しまれていたことであろう。

多くの人の命と引き換えに私たちは貴重な平和憲法を
手にすることが出来たことに感謝しなければならない。
8月15日の終戦記念日を前にして思うことは多い。

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