ひろひろ48

茨木のり子さんのラジオドラマの脚本 

2021年10月28日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「わたしが一番きれいだったとき」の詩の茨木のり子さん(1926年〜2006年)のラジオドラマ「電話」の脚本がみつかったそうです。その新聞記事から

「母を亡くした子どもの心を正面から扱う」 詩人・茨木のり子さんのラジオドラマ「電話」の脚本見つかる

 日本を代表する詩人の一人、茨木のり子さん(1926〜2006年)の作品で、詳細が分からなくなっていたNHKのラジオドラマ「電話」の脚本が残っていたことが分かった。母を亡くした実体験を投影したような内容で、識者は「この主題の作品はほかにない」と語る。論文誌「名古屋大学国語国文学」に、脚本の全文が新資料として収録された。(松崎晃子)

 茨木さんは、谷川俊太郎さんや大岡信さんら日本を代表する詩人の活動の場となった詩誌「櫂」を創刊した一人。国語の教科書にも採用された「わたしが一番きれいだったとき」などの詩で有名だが、初期は脚本家として活動した。
 「電話」は、母を病気で亡くした小学生が、心の中に自分だけの電話を作り出し、亡き母との対話を重ねながら生きる物語。出演した女優の山本安英さん(故人)が、回想録で作品名を挙げていた。録音された資料があるかどうかは分からず、茨木さんが残した年譜や記録にも残っていない。研究者の間でも、物語の内容など詳細は不明だった。
 「電話」の台本は、NHK放送博物館(東京都港区)の収蔵庫に、ほかのドラマ脚本とともにとじて保管されていた。顕彰活動に取り組む「詩人茨木のり子の会」の会員で、熱田高校(名古屋市熱田区)校長の熊谷誠人さん(59)が2019年に見つけ、その後詳細を確認していた。
 台本には、「昭和41(1966)年5月7日」と放送日が記されており、ページの抜けもない。本文の中では「レインコート」を「レンコート」と表す、茨木さん独特の口癖もみられる。同館によると、収蔵品は、番組スタッフらが自宅などで保管していたものを何らかのタイミングに寄贈するなどして集まった資料が多く、「電話」が収蔵された時期や経緯は不明だ。
 茨木さんは、11歳のときに母を結核で亡くした。熊谷さんは、同作を「母を亡くした子どもの心を正面から扱った、唯一の作品と言える」と位置づける。
 日本近現代詩が専門で、茨木さんと親交があった愛知県立大の宮崎真素美教授は「彼女の詩には、今のところ生母自体を主題としたものは見当たらない」と説明する。
 茨木さんは、母が亡くなった後、すぐに継母を迎えることになったため、宮崎教授は「(継母への)気遣いがあったのでは。あえて放送されっぱなしで形に残らないラジオドラマを選んだのかも」と推測。設定には茨木さんの実像に近い部分もあるが、主人公を男の子に置き換えており「優れた創作感覚が見える」と評する。
<引用以上>

へぇ、、あの茨木のり子さん、はじめは脚本家として出発したんですね。小さいころにお母さんを亡くした生い立ちなどから、感受性が高かったのかもですね。50代でハングルを勉強し、韓国の翻訳詩集も出しています。いつも前向きで、パワフルでした。



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