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「天皇信仰」も「皇室愛」も、押し売り押し付け御免蒙る。(澤藤統一郎の憲法日記) 

2021年11月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



友人の川口重雄さんのメールを転載します。
各位           11月23日川口重雄拝-----Original Message-----「天皇信仰」も「皇室愛」も、押し売り押し付け御免蒙る。(澤藤統一郎の憲法日記)211122http://article9.jp/wordpress/ 本日の毎日新聞夕刊一面のほぼ全面のスペースに、「ジャーナリストが見た眞子さん結婚」「揺らいだ私の『皇室愛』」「長年取材の久能靖さん」という記事。https://mainichi.jp/articles/20211114/k00/00m/040/012000c 結論から申し上げよう。なんという空疎でつまらない記事。毎日新聞は読者を見くびっているのではないか。こんな記事を、夕刊第一面の全面にあてがわれた読者としては、気分が悪い。覚悟して産経を読むのとは違うのだ。この精神的打撃は小さくない。本日夕刊分の購読料を返還してもらいたいくらいだ。「大きく揺らいだ私の『毎日新聞愛』」である。 私は、皇室記事には関心がない。読みたくない。読む価値がないと思い込んで避けてきた。その私に不意打ちの、夕刊トップに巨大な見出しの皇室記事。思わず読んでしまったが、やっぱり読む価値のないつまらぬ記事。「長年にわたって皇室取材を続けてきたジャーナリスト」とリードにある久能靖という人物のことはまったく知らない。が、この記事に目を通す限り、皇室に阿諛追従する文章を書いて世過ぎとしてきた人のようだ。およそ私がイメージする「ジャーナリスト」ではない。 この文章がこの上なくつまらなく、読者の心を打たない原因は、『皇室愛』に凝り固まった人だけを対象にした内輪の信仰告白に過ぎないからだ。オウム真理教の信者が内輪で「尊師は素晴らしい」と褒めちぎっているのと変わらない。これをオウムの外にもってきたら、読者は白けるだろう。この文章はそれと同じなのだ。 オウムにしろ、天皇教にせよ、信仰の強制はできないし、してはならない。そして、愛情の押し売りもだ。私には、皇室信仰や「皇室愛」という時代錯誤の心理はない。日本人なら皇室を尊崇すべきだなどという、馬鹿げた謬論が通じる時代でもない。 それでも、この記事を読むと、天皇制を支えている「皇室ジャーナリスト」たちの論理や心理やその水準が少し理解できるような気がする。要するに、何の実体もないものを何かありがたいものがあるかのごとくに書き連ねているのだ。その点で、おそらく戦前と戦後、「皇室ジャーナリスト」は不易なのだ。 この文章の最後は、こう結ばれている。 「私はこれまで、言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさを感じて生きてきた。一方、小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。それが非常に残念だ。」 ここについてだけコメントしておきたい。 「言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさ」というのは、この記者の本音なのだろう。彼は、「皇室の存在のありがたさ」を感じてはいるが、それは説明不能なのだ。「説明できないありがたさ」とは信仰である。あるいは、迷信である。盲信と言ってもよいが、もしかしたら端的に欺されている心理というべきなのかも知れない。 かつて天皇は神の子孫であり自らも現人神であるとして、臣民を欺いた。今、「説明できないありがたさ」をもって善良な国民の迷妄に付け込んでいるのではないだろうか。 彼の言う「皇室」はいくつもの言葉に置き換えることがができる。「私はこれまで、言葉で説明するのは難しいイエス・キリストの存在のありがたさを感じて生きてきた。」「仏陀の存在のありがたさを感じて生きてきた。」「尊師のありがたさを感じて生きてきた」「カネのありがたさを感じて生きてきた。」「イワシのアタマのありがたさを感じて生きてきた。」 「説明できないありがたさ」には、十分な警戒が必要なのだ。 また、彼の「小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。」という一文。「多いだろう」ではなく、ほとんどの人がそう考えたに違いない。 あの記者会見と回答文から見える光景は、皇室という檻の非人間性である。おそらくは、普通の感覚をもった人格が皇室にとどまることは無理なのだ。「そこまでして」というのはよく分からないが、皇室が「離れたい」「つらい、大変な」檻であることは、少しでも想像力があれば、誰にでも分かること。 この記者のこのつまらない一文の最後が、「それが非常に残念だ。」という締めくくり。彼にしてみれば、愛する皇室が袖にされたのだから「残念」なのだが、檻に閉じ込められた若者の脱出劇には、喝采が送られるのが定番なのだ。 この文脈で比較の対象になっているのは、「皇室への愛」と、「若者の自由」である。もう少し具体的には、「若者を閉じ込める皇室への愛」と、「閉じ込められた檻から脱出する若者の自由」である。前者には普遍性がない。後者には誰にもよく分かる普遍性がある。自由への脱出という歴史の必然に「残念」言っても、勝ち目はない。**************************************************************************
眞子さん日本「脱出」 皇室ジャーナリスト久能靖さんに聞く

 秋篠宮家の長女小室眞子さん(30)と夫の圭さん(30)=10月26日に結婚=が14日、圭さんの拠点がある米ニューヨークで新生活を始めた。結婚をめぐっては、皇室伝統の儀式や行事がなく、記者会見も質疑応答が直前で中止された。元日本テレビアナウンサーで、長年にわたって皇室取材を続けてきたジャーナリストの久能靖さん(85)は2人の結婚をどう受け止めたのか。【聞き手・山田奈緒】揺らいだ私の「皇室愛」 眞子さんにとって皇族として生きた時間はなんだったのだろう。それが伝わってこないまま、眞子さんは日本を離れた。あらゆる困難を乗り越えて眞子さんにはお幸せになってほしいと心から思っている。ただ、結婚をめぐる一連の言動に、私の「皇室愛」は揺らいでいる。 眞子さんの公務に臨む姿勢は素晴らしく、国内外で子どもとふれ合う優しい姿が印象に残る。最後まできっちりと皇族としての務めを果たされていた。それだけに、伝統的な手順を踏んで、皇室を去ってもらいたかったと強く思う。 儀式や行事を行わなかったのは、秋篠宮さまの苦渋の決断だろう。小室さん側の金銭トラブルにどう対応していくかは、あくまで秋篠宮家と小室家の問題だった。しかし、世間の関心が広がり、皇室全体を巻き込むことになった。皇室に批判の声が向く影響を考慮し、秋篠宮さまは父親として結婚を認めるが、皇室として結婚を認めないという結論を出さざるを得なかったのだろう。 天皇陛下の判断で決まる「朝見の儀」などの儀式もなかった。これも同じ理由だろう。儀式を行えば、眞子さんが今後も皇室と関わりやすい道を残せたかもしれない。伊勢神宮の祭主として陛下を支えている黒田清子さん(上皇ご夫妻の長女)のように、結婚後も皇室との関わりが続く場合もある。ただ、批判的な声を踏まえ、儀式を行えば世論の分断を招くかもしれないという陛下の判断があったのかもしれない。「断絶」の決意感じた そもそも眞子さんは今後は皇室と関わるつもりはないだろう。小室さんとの記者会見や回答文書は、「皇室との関わりを絶つ」と力強く宣言したように感じられる内容だった。 文書では「私にとって皇族の立場は、たくさんの人から助けられ、見守られ、支えられ、あたたかい気持ちをいただくことで成り立っているものでした」「皇族として過ごした時間は、数々の出会いで彩られ、ひとつひとつの思い出が宝物」と記していたが、具体的ではない。 「感謝」の言葉もあったが、自分たちにとって都合の良い人のみに向けられていたように思えた。批判的な声の中にも愛はあるのに、そうした批判は切り捨ててしまうような言葉選びだった。 小室さんの金銭トラブルへの対応や受け止め方についての説明は詳細で、「自分たちは悪くない」という主張をしたかっただけなのではないかとの印象を受ける。 一方、皇室への言及は少なかった。自由のない環境で育ち、結婚を巡って批判を受け、皇室が嫌になったのかもしれない。だが、嫌なことばかりではなかったと信じたい。得がたい経験をいくつもされたのではないのか。皇室をこれからも支えたいという思いを一言でいいから聞きたかったが、その発言はなかった。 眞子さんが自分の言葉で話すことで、結婚を巡って社会に吹いていた冷たい風が和らぎ、穏やかな日が差し込むと期待していたが、風は強まってしまったのではないか。ご自身の立場に息苦しさがあったのなら、その素直な思いも教えてほしかった。 記者会見の前、宮邸で眞子さんを見送る秋篠宮ご夫妻の表情がとてもさびしそうに見えた。娘の晴れ姿を見られない寂しさはいかばかりだろうか。車が見えなくなるまで手を振っていたご夫妻の姿と表情は胸に迫るものがあった。儀式をしないという異例の決断をしながらも、見守ってくれたご両親や天皇、皇后両陛下に対し、「今までありがとうございました」という感謝の言葉を会見や文書に盛り込まなかったのはなぜなのだろう。際立つ思い、残念 かつて高円宮さまに皇室はどうあるべきか尋ねた時、「皆さんの先頭に立ってはいけない。真ん中ぐらいにいて、周りの人の話や望みを肌で感じながら、皆さんと一緒に歩みたい」とおっしゃっていた。良い言葉だと思った。皇室の誰もが、国民とどう歩むべきなのか思いを巡らせている。私は上皇ご夫妻と同年代。平成の時代のお二人を見て、人を思いやる大切さを感じてきた。お二人の姿に感動し、お二人を通して皇室への愛が深まった。今の天皇、皇后両陛下にも同じようなぬくもりを感じている。 私はこれまで、言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさを感じて生きてきた。一方、小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。それが非常に残念だ。
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(了)

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