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平成の虚無僧一路の日記

「梶田昌艶」先生 追悼演奏会 

2011年09月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



9/23 お彼岸の今日「梶田昌艶先生・追悼演奏会」が
無事、盛大に執り行われた。会場は満席、会員は皆
立ち見という盛況さだった。

箏の「梶田昌艶」先生は、戦災で家が焼かれた時、
箏だけ持って逃げたとか。戦中、戦後の混乱の中、
宮城道雄に師事し、昭和21年17歳で師範免許を得て
開門。昭和23年 19歳でNHKラジオに初出演し、
昭和26年 東京新聞主催の「邦楽コンクール」で
『秋は来ぬ』が入賞。22歳。

名古屋から東京まで、まだ蒸気機関車が走っていた
時代。娘一人、お琴を担いで、夜行列車で8時間
かけて、東京−名古屋を往復していたのだ。お箏に
かけるその情熱はすごい。その後、今年3月事故で
急逝されるまで、300曲以上もの曲を創作、編曲された。

その中から、どの曲を選ぶか、大編成の曲や難曲を
誰が演奏するのか、メンバーの選定には、苦労した
ようだ。

梶田先生の華々しい芸暦を追ってプログラムが
構成され、コーラスも加わっての数十名総出演
での大合奏曲『小諸詩情』で幕となった。

不思議と涙が出なかったのは、先生が亡くなられた
ことが、まだまだ実感できないからであろうか。
そういえば「遺影」も飾らない“違例”の追悼
コンサートだった。

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