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たかが一人、されど一人

この国のかたち?? 

2011年09月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

夕方から出かけるので昼のうちに日記を書いた。特に憂国の情が強いわけでもないし、極端な愛国者でもないが日本以外の国に住みたいと思ったことは一度もない。現代日本を貶める気持ちもないが、昔の日本(特に江戸時代あたり)に生まれていても結構楽しかったのではと想像する時がある。前置きは兎も角、司法、特に裁判官ともなると、極めて専門的な世界で、若い頃に学問を十分積まれ、人格も陶冶された方々のみが座に就くことを許されている、小生なんぞには別世界と信じている。たまに冤罪判決のような事が起きたりしても、それは裁判官の恣意的な誤りではなく、極稀ではあるが、たまたま何らかの事情で、調査不足等があっての誤審で、裁判官をあまり責めることは出来ないだろう。菅谷裁判のやり直しに関しても、元被告の菅谷氏は警察や検事に対して恨みつらみを言っているが、裁判官には謝罪を求めていなかったように記憶する。更に、我が国においては裁判の三審制が取られているので、公正公平を欠くようなめったな事故は起きないだろうし、素人が口出すのは厳に慎むべきだと思っている。ところが、先日の小沢秘書3人の裁判と昨日東京高裁の判決が下った「沖縄密約開示訴訟」の結果を見ると、従来の考えを少し変える必要があると思わざるを得ない。報道によると次のようになる「密約の存在と文書の保有を認定し全面開示と原告1人当たり10万円の損害賠償を命じた一審判決を取り消し、請求を退けた。文書保有の証拠はないと判断した。」要するに、外務省や財務省が1審で存在を認めている密約文書は当初あったかもしれないが、破棄されようが現在文書が無いのだから仕方がないでしょ、と裁判所が開き直っているのだ。素人が感想を述べて申し訳ないが、現代日本のお白洲はどうなっているのだろう。お上のする事は下々の知る必要は全くなく、都合の悪い事は隠そうが無い事にしようがやりたい放題らしい。三権分立などと教わったが、奉行所が幕府の一機関である以上、司法と行政は常に一体で、幕府にたてつく奴はふん縛って牢屋に放り込む江戸時代の体制と何ら変わるところは無いようだ。そしてもう一つの権威であるべき立法府だが、よく言われるように、ここの独立性も多分に危ういものだ。日本の中心に財務省が座っているとの説があるが、それは置くとしても、政府即ち行政府が、もっと言えば霞が関官僚が立法府をハンドリングしている事を全面的に否定できる人間はまずいないだろう。議院内閣制だから仕方ないとするなら、政権交代など全く無意味だ。明治維新で革命的な改革を成し遂げ、さらに昭和20年の終戦以降に民主化が一気に進んだとも教わったが、とんでもない間違いを刷り込まれている可能性がある。結局江戸時代以降今日までずっとお上の存在は変わっていない。官僚にあらずば人に非ず、三権の上部にいるのは皆一蓮托生、全て高級官僚に他ならない。中東諸国を遅れた国と笑えないほど、日本もとんでもない封建国家だったりして・・・・。

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