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現在、ウクライナを侵攻しているロシアの指導者に対して国際刑事裁判所が戦争犯罪などの容疑で捜査を進めている。「国際刑事裁判所(ICC)と東京裁判」 

2022年04月01日 外部ブログ記事
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「防衛省市ケ谷記念館を考える会」共同代表春日恒男氏が「国際刑事裁判所(ICC)と東京裁判」を寄稿されました。
防衛省内「市ヶ谷記念館」

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国際刑事裁判所(ICC)と東京裁判
防衛省市ケ谷記念館を考える会共同代表春日恒男
 現在、ウクライナを侵攻しているロシアの指導者に対して国際刑事裁判所(International Criminal Court、以下、ICCと略する)が戦争犯罪などの容疑で捜査を進めていることをご存じであろうか。戦争犯罪とは、一般に国際法に違反した行為をさすが、今回の場合、ウクライナへの侵略(自衛権行使以外の武力行使)、非戦闘員・学校・病院・核施設への攻撃、禁止された爆弾の使用、制圧地域の市長の拘束(人質を取る行為)などが該当すると想定されている。3月24日付「朝日新聞」の「戦争犯罪 問われるロシア」の記事によれば、ICCの検察官は「2日、戦争犯罪などの容疑で捜査を始めたと発表した。裁判には被告の出席が必要なため、プーチン氏らに有罪の判決を言い渡して収監することは難しいが、逮捕状の発布は可能だという。また、ローマ規定の締約国にはICCに協力する義務がある。逮捕状が出されたロシア側の関係者が拘束されるおそれがあり、締約国を気軽に訪れることができなくなる」。また、日本の外務省のHPによれば、英国などが戦争犯罪などを捜査するようICCに付託したのに続いて、3月9日、日本も付託したことを報じている。同省によると、付託した加盟国の数は日本が加わり計41ヵ国になるという。 私たち(防衛省市ケ谷記念館を考える会)は、現在、防衛省構内に移築保存された旧東京裁判法廷(現名称:市ケ谷記念館)の展示改善と有効活用を訴えている市民団体である。戦後、日本国内では東京裁判に対して「勝者の裁き」という評価が依然として根強い。そのため、その遺産が国際社会で継承され、今日のICCの礎となったという重要な事実が看過されている。しかし、同じ敗戦国ドイツでは、戦後は長らく日本同様、ニュルンベルク裁判に対して「勝者の裁き」という評価があったが、近年、その評価を乗り越え、その遺産を積極的に継承する方向に転じている。2014年、ドイツ政府、バイエルン州、ニュルンベルク市は「国際ニュルンベルク原則アカデミー」を設立し、その公式の場所を旧ニュルンベルク裁判法廷に定めた。そして、現在、「国際ニュルンベルク原則アカデミー」は、1950年に定式化された「ニュルンベルク諸原則」、すなわち、「平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪は国際犯罪であり、こうした犯罪を犯す者は何人たりとも責任があり、よって処罰を免れないこと」等を「遺産」として「維持し広めること」を「使命」として活動している。私たちは、現在の旧東京裁判法廷(現名称:市ケ谷記念館)の展示もこのドイツの姿勢を参照に改善すべきだと考えている。 今回のICCの捜査開始を機に、改めてICCと東京裁判との関係について述べておきたい。周知のように、ICCとはオランダのハーグに常設された、独立の国際司法機関である。そこでは個人の戦争犯罪などを検察官が訴追し、審理を経て処罰することができる。その歴史を振り返ると、第二次世界大戦後、国連設立当初から始まる。当時、それはニュルンベルク裁判と東京裁判の経験を踏まえ、将来の大量虐殺や侵略の発生を抑止するのを目的に設立が構想された。この構想は、その後の東西冷戦によって数十年の長きにわたり凍結されていたが、90年代に入り冷戦が終結すると、冷戦後に頻発した民族紛争に対処するための新たな手段として蘇る。ニュルンベルク裁判と東京裁判を歴史的先例として、「旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷」、「ルワンダ国際戦犯法廷」など臨時の国際戦犯法廷が設置され、常設の国際刑事裁判所設置の議論が復活したのである。 1998年、ローマで国際刑事裁判所設立のための国連全権外交使節会議が開かれ、120カ国の賛同を受けて「ローマ規程」が採択された。この規程が発効するには60カ国の批准が必要だったのだが、ICCは国家主権の一部を制限する可能性があり、発効には20年は要するという見方もあった。しかし、冷戦後の新たな国際秩序を求める国際社会の声は強く、 2002年、ローマ規程は139カ国の署名と60カ国の批准を得て正式に発効し、翌年にはハーグに裁判所が設置された。国連設立当初時の構想から実に半世紀以上の2003年、史上初の常設国際刑事裁判所としてICCは発足したのである。 ニュルンベルク裁判と東京裁判はICCの礎である。この二つの裁判はその歴史的先例であるのみならず、この二つの裁判で確立された国際犯罪における個人責任の原則は、1950年、国連の国際法委員会作成の「ニュルンベルク諸原則」の一環として定式化され、ICC設立の基盤である「ローマ規定」の中核となっている。前述のように、ドイツではICCの発足とともにニュルンベルク裁判の再評価が高まり、「国際ニュルンベルク原則アカデミー」を中心にその遺産を継承する運動が進められている。ちなみに、日本は「旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷」、「ルワンダ国際戦犯法廷」の活動を支援し、「カンボジア大法廷」ではその最大援助国となった経緯がある。日本はICCの進展のために有意義な役割を果たしてきたのである。もし、平和憲法を国是とする日本が「国際東京原則アカデミー」を設立し、東京裁判の遺産を継承することを宣言すれば、日本のICC支援の活動が強固な理念に根ざしたものであることを国際社会に宣明にすることになる。そして、それによって国際社会の信頼を集め、平和貢献にますますその力を尽くすことができるであろう。 現在、残念ながらウクライナもロシアもICCの締約国ではない(ICCは基本的に締約国の事件しか取り扱えない)。しかし、締約国でない場合も、事件の発生地の国か、容疑者の国籍がある国のどちらかがICCの管轄権を認める宣言をすれば、ICCが事件を取り扱えるという規定がある。ウクライナはロシアのクリミア併合後の2015年、「事件の発生国」として管轄権を認める宣言をしている。したがって、今回もICCが取り扱うことは可能である。もちろん、戦争は現在進行中であり、今後の動向は予断を許さない。しかし、どのような結果になろうとも、いつかは終わりの時を迎えることはまちがいない。その時、国際社会はこの戦争にどのような裁定を下すのか。それが最大の焦点となるであろう。外交と国際的合意により、ニュルンベルク裁判と東京裁判と同じような特別法廷が設置される可能性も十分想定される。いずれにせよ国際法の下に国際社会が一丸となって新たな国際秩序を確立しない限り、人類の未来に保証はない。ICCに課せられた責務は重大といえよう。日本の大多数の人々にとって80年前の戦争も東京裁判も遥か彼方の忘却の出来事であったにちがいない。しかし、今、誰もが世界は依然として80年前と少しも変わらないという厳粛な事実の前に立っている。戦争は過去ではない。それは現在である。東京裁判は過去ではない。それは現在である。昨年(2021年)は東京裁判開廷75周年であった。そして、来年(2023年)はその判決75周年を迎える。今こそ、東京裁判の「過去」ではなく、その「現在」と「未来」について真剣に向かい合うべき時ではないだろうか。
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(了)

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