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えりの日記帳

あの時・・ 

2022年04月13日 外部ブログ記事
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 あの時・・若い男女(三重大学医学性?研修医?)が、次男の体を持ち上げて、体位を変えたりシーツのシワを伸ばしてくれました
「ありがとう」と礼を伝えると、若い男女は笑顔で「いつでも御手伝いしますよ」と言って退室しました
ですが・・次男の顏を見ると、とても辛そうで・・シンドイ表情だったのです
ずっと目を閉じたまま、痛みを我慢している様子でした
「荒っぽい〜」と言いたそうな感じでした(シーツなんかグチャグチャでも良かった!)
 その後、ベテラン看護師さんが棒のような先に綿を巻き付けたものを持ってきて、次男の口の中を綺麗にしてくれました
でも・・「あっ」と小さく叫んで、そのまま病室(個室=高額)を出て行ってしまわれた
暫くしてから次男の口を見ると、口内が血まみれでした
きっと先ほどの看護師さんが綿で拭いた時に、どこかを傷つけてしまったのでしょう
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最期に、次男と交わした言葉は「1階で飲み物を買ってこようか?」「うん」
買ってきてから「果物水が無かったから、カ〇ピスウォーターとオレンジ100%買ってきた」
 次男は、暫く考えていたので「カ〇ピスウォーターかオレンジジュース」と再度伝えると、少し笑顔になって「オレンジジュース」と言いました
                                
 去年の10月末に「病院は嫌や〜!殺される」と、次男が痛切に訴えるので・・自宅での看病を決めました
 治っていくのならともかく、段々悪化していく次男との自宅での三か月間は「二度と味わいたくないほどに辛かった」
少しでも治らないかと、いろんな「体に良い食べ物や飲み物」を摂らせました
次男も頑張っているのに「検査結果が良くならない」と苛立っていました
「いつ、どうなるか分からないから、悔いのないように生きたい」と、馴染みの御店に(私の送迎で)通い、オーナーや友人達との楽しい時間を過ごせたのは幸いでした
三重大病院に入院していたら、そんな幸せな時間は持てなかったでしょう
私自身も、最後まで次男の看病が出来たことは「辛いけれど、本当に幸せだった」
 亡くなる二日前に、自力で歩けなくなっていた次男は「(三重大)病院に連れて行ってくれ」と言いました
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 過去に、私の先輩調理員さんが三重大学病院で手術された時・・手術を終えて病室に戻ってから「ガーゼの数が合わない」と再度手術してガーゼを取り除いたことがありました
 同じく、先輩調理員さんの御主人が癌の手術で動脈を少し傷つけてしまったそうで・・「あの研修医は、私に何の恨みがあるんだ」と無念のまま死去されて・・先輩調理員さんは御主人の無念を晴らす為に病院と戦ったのです
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