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たかが一人、されど一人

歌の楽しみ 

2022年05月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 小学低学年時代の昔から音楽の授業がどうも苦手で、当然ながら通信簿でも最低の評価だったように思う。「思う」の意味はそういった証拠のようなものは全て即廃棄する癖にある。しかし父が「音楽なんて学問じゃないからどうでもいいよ」と言ってくれたことだけは記憶している。しかし、学問じゃないと言われても初めての受験、即ち高校受験には必須科目で「音楽」があったので、父にも間違いがあったと思ったりしたのも懐かしい。父のことでもう一つ懐かしいのが、父の趣味。父は百姓の出身をやや誇らしげに、現役時代は庭に花壇を、リタイしてからは近くに100坪を超す土地を求めてまで野菜づくりを主な趣味にしていた。これは自然で不思議でもないが、もう一つ不思議だったのが「NHK素人のど自慢大会」を毎週楽しみとして視聴していたことだ。大河ドラマなら未だ理解できるが、昔は鐘一つも珍しくなかったので、ちょっと面白く感じていた。父の歌は殆ど聞いたことはないが、遺伝子を受け継いでるから、上手いはずがない。当然自分は恥ずかしいくらいの音痴だ。そして歌番組が好きでよく観るところも似ている。但し、最近の歌や音楽番組はどうも頂けない。一昔も二昔も前の藤山一郎や東海林太郎が懐かしい口なので、「のど自慢」は観ない。もっぱら見るのは日テレBS「日本の歌」程度。父がどんなつもりで「のど自慢」を観てたか知らぬが、こちらはある種の癒やしを求めてる。従ってメロディーもさることながら、歌詞が大きな意味を持っている。季節は夏に差し掛かりつつあるが、例えば「夏は来ぬ」。唱歌とあるし学校でも習ったようなきがするから文部省肝入れの作品かもしれぬ。作詞は日本を代表する文学博士の佐佐木信綱氏。小学生時代は勿論、80歳を超えた今でも歌詞を完全に読めて、理解することは難しい。以下が分かる人は果たして如何ほどだろうか?楝(おうち)ちる 川べの宿の門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して夕月すずしき 夏は来ぬ教育のあり方を考えさせられる問題にもつながるが、それは扠措こう。今朝高校同期の友人とひょんな事で似たようなメールのやりとりをして、小生の耳、即ち聴音機能が平均値に比べ著しく劣っていることを教えてくれた。運転免許証試験では視力がチェックされるが、耳はチェックしない。これで良いのかな?

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