メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

山の呼び声 1 

2022年06月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昭和15年出生地は奈良市内だが、本籍地は当時の小県郡秋和村、現在は上田市。満3歳の時、父が南方に出征したので、母方の祖母に連れられ母の実家がある長野市に移住。それから高校を卒業するまでの約15年間を長野県内(長野、松代、長野、松本、そしてまた長野)で過ごしたし、両親ともに長野県人だったので故郷は長野と思っている。当然の結果として、子供の頃から山が目の前にあり、少し大きくなると坂道を歩いて少し高い場所に行くのが好きになった。小学生時代は舗装道路は少なく、冬雪が降ると長野市内でも子どもたちは、近くの坂を見つけて手製の橇で遊んだりスキーを楽しんだものだ。これが南信の松本に行くと少し事情が変わり、下駄の下にエッジを付けたスケート遊びとなる。この際重要なことは下駄を足に固定する為に真田紐を使うことが必須である。10歳未満でこんな体験があるので、山歩きが好きになるのは自然の成り行き。しかも高校から大学にかけて毎年長期の休みには、志賀高原国立公園管理事務所で小間使のアルバイト(お金を貰わず只で泊めてもらう)をさせてもらった。しかし山が好きだからと言っても登った山は長野市近くの里山と志賀高原蓮池近くの坂道とスキー場となってる場所だけだから、高校生や大学生の山岳部員が目指すような山はずーと知らなかった。もちろん長野県はアルプスを含め多くの山に囲まれていることは承知してるが、山なんて当たり前すぎて、どこでも同じだろうくらいにしか思っていなかった。ところが、60歳過ぎて故郷に戻ったある日、四方山話の中で母が「簡単に行けるから黒部峡谷くらいは一度観てきなさい。」これが平成14年の8月だった。年齢も64歳、まだサラリーマンではあったが、終りが見えていた。母の勧めで考えた、「俺は子供の頃からガキ大将のごとく振る舞って来たが、実際はひ弱で、中学生の夏休み登山(燕岳)にも参加できなかった。その僻みで北アルプスさえ間近に観ることが出来ていないのはあまりにも残念。取り敢えずは黒4ダムまで行けるというなら行ってみようと決心。翌月9月20日に言われた通り大町から黒部湖を通って室堂まで行ってみた。少し時間があったので、更に歩を進め近くの浄土山まで登ったことが、その後の人生を変えたのかも知れぬ。百聞は一見にしかず、全く想像してなかった息を呑むような光景。まだ人生の先は長そうだ、山をもう少し歩いてみよう。以来山を歩き始めて、十数年思った以上に多くの山を訪ねることが出来た。<明日に続きます>

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ