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対義語談義 

2022年09月15日 外部ブログ記事
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「関心があるから『好き』と感じる。無関心だと『好き』にはならないでしょう。だから、『好き』の反対語は『無関心』になるのよ」そう言う人がいました。
「怒ってくれるだけまだマシよ。”好きの反対は無関心”、相手にされなくなったらそれで終わりですよ」。
なるほどね〜〜。
無関心は、”無”と”関心”が合わさった言葉です。
”無”は0ですよね。だから関心が0って事です。
これは語源である「愛の反対は無関心」に似た意味として使われており、「対象を好きでいるのなら、その一挙手一投足に関心があって当たり前だが、好きではないのならば、関心があるはずがない」といった意味合いで使われているようです。
でも無関心の反対は明らかに関心のはずです。
好きから無関心になる事はあっても無関心から好きになる事はないんじゃないでしょうか?
「好きと嫌いは紙一重」とよく言われます。
これは「心理学、哲学の要素」が強いとの事です。
脳の活動を見ると、好きなものを見た時と嫌いなものを見た時に、脳が活発になる所はほとんど同じ所なんだそうです。
だから「愛は憎しみに変わる」というのは脳科学的にも正しいそうです。
さて国語的な結論から言うと、「好き」の反対はやはり「嫌い」だそうです。
ただ国語の枠にはまらない奥の深い言葉。
好きと嫌い、思いは正反対のはずなのに、使ってるエネルギーは同じなんです。
「嫌い」と思うって事は「好き」になる可能性をだいぶ秘めてる
ただ、好きはポジティブな思いで、嫌いはネガティブな思い、という違いだけ。
99悪いことしていても、その後に1いいことをするのと比べて、99いいことをしていて、その後に1悪いことをする方が、印象悪いんです。
即ち、ネガティブなイメージが最初にあった方が好意的に思っちゃうのは自然ですね。
世の中には沢山の「好き」がありますから、色んな正解があっても構わないと思います。
人の気持ちは単純に片付けられないほど複雑なんですね。
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