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鉄道遺構『1888年(明治21年)山陽鉄道「大窪隧道」』 

2022年10月12日 外部ブログ記事
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「鉄道郵便車保存会」会長からのメールを転載します。
これらの鉄道遺構が、全国に多く保存されています。サイト「土木遺産(鉄道)」にも紹介したいと思います。
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長谷川様 「鉄道郵便車保存会、会長です。地元の古い隧道を紹介します。以前に書きました近所の古い隧道について、画像でご覧下さい。場所は山陽本線西明石〜大久保間で、大久保駅近くの築堤を市道がくぐる箇所にある「大窪隧道」です。これは、1888年(明治21年)に山陽鉄道(のちの国鉄〜JR)が開通した際に、この付近が谷八木川両岸の窪地であったことから、勾配緩和のため築堤を建設し、住民利便のためレンガの隧道を作りました。上には複線の線路がありますが、建設当初、単線であった当時、隧道の長さは現在の2/3ほどでした。その後、時期は不明ながら、複線化された際に築堤の拡幅で構造はそのまま南北に拡張されました。特筆されるのは隧道内の複線化の痕跡で、南北の入口から数メートルのところにレンガを継ぎ足した痕跡(クラック)2箇所がはっきりとわかることで、雨天のあとは築堤内の浸透水が沁み出してきます。築堤は国鉄、JRの防災工事でコンクリートで覆われていますが、隧道内のレンガは手を加えておらず、長年にわたり剥離、落下が皆無であることを示します。明石市の管理上は隧道ですが、JRにとっては橋梁となり、くぐる立場、またぐ立場の違いでしょうか。通行するのはもっぱら歩行者、自転車、バイクで、クルマは法的には可能ですが軽四でも車体をこすりそうな幅なので、30年間いつも通っていても、軽四の通行は1台しか見ておらず、JRが懸念するクルマの衝突は、ほぼないものと思われます。住民からは「大久保の穴門(あなもん)」と呼ばれる一方で、心霊スポットでもあり、夜間の照明がないことやレンガ水漏れの不気味さからそう言われるのかもしれません。ここの歴史的価値を知ったのは、山陽電車主催のハイキング「鉄道遺産めぐり」で訪れ、学芸員の説明を聞いたときで、それまでずっと通行していても何も感じませんでした。
北側から

北側クラック

南側クラック


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(了)

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