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たかが一人、されど一人

自分なりに 

2022年12月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 今日は大晦日、今年の元日や昨年の大晦日に何をしたか、或いは考えたかを振り返ろうとブログを読んでみたが、大したことは書いていない。少しがっかりした。今朝は年末の締めくくりで、朝から大忙だった。昨年も同じだったかどうか、少なくともブログには何も書いてない。今日は詳細に書き残す。先ず4箇所のカレンダーの架替えだけでも結構な手間だ。更に面倒なのが、氏神様の神札の交換。高い位置からぶら下げているので踏み台を持ち出す必要があるし、何故か今まで掲げてあった神札と比べ、新しい神札はサイズが違う。少し小さめなので額を変える必要はないがキチンと収めるのは少し面倒くさい。カレンダーも一枚物があったりして、両面テープを貼らなければならず、一段落するのに小1時間は掛かってしまった。後は正月2日に顔を合わせることになる娘と孫たち、特に孫たちにはお年玉の準備も必要だが、これは明日でも間に合う話だ。夕方池袋で蕎麦でも食うつもりなので、その時必要品を揃える予定。1年後にまたブログを読み返すかどうかは分からないが、今日は少しまともなことを書きたい。最近強く思うことは自主性の大切さだ。書物やマスコミから知識を吸収することは大切かも知れぬが、人間にとって生きていくために必要な知識の量は少量だろうが、内容的には個人差が大きい。吸収したつもりの知識は計り知れないほど大量だろうが、その殆どは忘れ去っている。毎日巡りくるいろいろな局面に対応するために、蓄積された知識に基づく行動もあるだろうが、知識だけに頼るのではなく、自主的判断が大切だと思う。目の前の信号機が赤でも歩いて渡ることはしばしばある。褒められた話でないかも知れぬが、自分で確認した状況で危険が無いと判断できたら許されて良いと思っている。但し、隣に親子連れで子供が居たら渡らない。脳の道徳的司令が足を止めるのだ。単純すぎて適切な例にならぬかも知れぬが、状況の変化に対する個人の判断は千差万別で然るべきだ。リモート授業が増えた今の学校教育は、子供自主的判断を育てる方向が大分欠如している可能性が高い。頭が良いとは何か?長いこと中学校の教師をしていた弟が生きていたら是非話をしてみたかったが、残念ながら彼もこちらより先に天国に旅立ってしまったのが残念だ。何れにせよ来年も己を信じて生きたいと思う。

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