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富士国際旅行社学習会「“魔都”上海レポート」のパワポ画像をアップします 

2023年02月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



本日、(株)富士国際旅行社で学習会「“魔都”上海レポート」をしました。パワーポントの画像と学習会で説明した要約をアップしますのでご参照ください。

2017年12月25〜30日までの日程で『海軍の「大山中尉事件」・南京大虐殺を考える 検証 上海事変から蘇州・南京占領まで』に参加しました。添乗員は堀米さんで、スルーガイドは南京中北友好国際旅行社日本中心総経理曹陽さんした。参加者には共産党福島県会議員阿部裕美子さん、愛知大学文学部教授樫村愛子さんなど多士済々の方々でした。ツアーレポートをする目的は、訪中が可能となったならば富士国際旅行社が「日中不再戦」の立場からダークツアー『検証 上海事変から蘇州・南京占領まで』を催行して貰いたいことです。





「支那游記」自序 芥川龍之介「支那游記」一巻は畢竟(ひつきよう)天の僕に恵んだ(或は僕に災わざわいした)Journalist 的才能の産物である。僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余日の間に上海、南京、九江(キュウキャン)、漢口(ハンカオ)、長沙、洛陽、北京、大同、天津等を遍歴した。それから日本へ帰った後、「上海游記」や「江南游記」を一日に一回ずつ執筆した。「長江游記」も「江南游記」の後にやはり一日に一回ずつ執筆しかけた未成品である。「北京日記抄」は必しも一日に一回ずつ書いた訣ではない。が、何でも全体を二日ばかりに書いたと覚えている。「雑信一束」は画端書えはがきに書いたのを大抵はそのまま収めることにした。しかし僕のジャアナリスト的才能はこれ等の通信にも電光のように、――少くとも芝居の電光のように閃ひらめいていることは確である。大正十四年十月 ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?芥川龍之介記
芥川自身は1927年7月24日に自宅の家族4人が眠る床で睡眠薬の服薬自殺した時、上海で買った布地で仕立てた浴衣を着て、事切れていた。
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靖国神社大灯篭のレリーフに描かれた第一次上海事変

単なる恋愛物でしたので許諾申請はしませんでした。


新宿平和委員会の会長(長谷川順一)が、新宿区大京町のビル六階にあったNPO法人ホロコースト教育資料センター(現在は品川区)を訪れたのは、「ハンナのかばん」が新聞記事で話題になった2001〜2年頃だと思われる。今思えば応対してくれた女性は代表の石岡史子さんだと考えられる。管理人は新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡から出土した「人骨」の関係から、中国哈爾浜市の侵華日軍関東軍第731部隊罪証陳列館と交流し、731部隊の犠牲者家族が日本政府を相手にした賠償請求訴訟裁判に取り組んでいた。「アジアのアウシュヴィッツ」が731部隊だと意気込んでいたので、同センターとのお付き合いはしてこなかった。
今回のツアーに石岡史子さんが参加されたのは、石岡史子・岡裕人著『「ホロコーストの記憶を歩く』の編集者である北川直実さん(オフィスY&K)がお誘いしたからである。
上海でツアー一行が宝山区の淞滬抗戦祈念館を見学している間に、石岡さん、北川さん、樫村さんは上海ユダヤ人難民祈念館を見学した。
上海市内の旧共同租界には「ユダヤ難民隔離境界線」があり、「上海ユダヤ青年学校」「中欧ユダヤ協会」、「ユダヤ難民収容所」の旧跡がある。他には富豪のユダヤ人のための「上海ユダヤ医院」などがある。外交官杉原千畝に助けられたユダヤ人も上海に渡った。
日本共産党発行の雑誌「前衛」二月号に「なぜホロコーストを記憶するのか」と題した石岡史子さんのインタビュー記事が掲載されている。石岡さんは、ヒトラーのドイツ帝国議会共産党放火事件の「殺害された帝国議会議員追悼の碑」を学生たちに見せながら、「政治が、反対意見に耳をかさない、都合が悪いことは聞かないという方向に進んでいったとき、何が起きる・・・・、学生たちと思いを巡らせながら考えます。」と語っている。安倍政権(当時)の政治状況に、警鐘を鳴らしているような素晴らしいインタビュー記事である。



笠原十九司都留文化大学名誉教授が「大山事件は謀略である」という歴史の定説となるまでの学術論考の系譜を整理してみました。
1997年8月 5日 青木書店刊「日中全面戦争と海軍」64頁に「それにしても、長江流域の日本人居留民の上海および日本への引き揚げが無事終了した八月九日の夕方、さらに言えば川越・高の第一回会談が行われた日に、大山事件が発生したのは、さらがら拡大派の『謀略のシナリオ』を見るようなタイミングの良さである。」と叙述されました。
2008年8月10日 「早稲田九条の会山田朗教授講演会」終了後の懇親会で、主催者の早稲田九条の会代表武藤徹さんが「軍は大山勇夫海軍中尉に家族の面倒を見るから死んでくれと言った。そこで大山中尉は中国軍の三重の警戒線があったが、まず第一、第二の阻止線の誰何(すいか)を突破していった。そして第三の阻止線における銃撃で殺されたのだ」と管理人に話をしてくれました。
2009年7月 5日 「夏叔金裁判勝利集会」終了後の懇親会で、管理人が笠原教授にこの話をしました。
2009年7月18日 新宿区議会待遇者共同控室で、笠原教授は武藤徹さんから二時間半にわたって聞き取りをしました。
2010年5月25日 岩波書店刊「日本軍の治安戦」注(第一章)236頁に武藤さんの証言を記述しました。
2010年9月 1日 岩波書店刊「図書」1頁「歴史書と歴史小説」に「密命を与えたことを証明する史料や証言が必要となる。ところが、海軍関係者による真相隠蔽の壁は厚い。」と記述されました。
2012年9月10日 現代史料出版刊「年報・日本現代史 第17号 軍隊と地域」に、「大山勇夫日記」を緻密に分析して謀略だったことを初めて発表しました。
2015年6月17日 平凡社刊「海軍の日中戦争」には、現場のイラストを作図して完璧な学説として発表しました。
2017年7月20日 高文研刊「日中戦争全史 上」229頁には日中戦争全史から、この謀略を位置づけられました。










2017年12月13日にリニューアルオープンした南京大虐殺祈念館は、30万人を追悼するために最新の照明・映像・音声技術が駆使されており、何重にも重なった遺骨館が、もう一箇所大きな展示室で観ることができる。
豊富な一次資料によって、犠牲者が30万人以上であることを世界に示している。日本の敗戦後、直ちに犠牲者の調査にかかり、A級国際軍事裁判法廷(東京裁判)とBC級南京裁判法廷の準備をしていたことには驚いた。
同祈念館だけではなく、上海市や無錫市の抗日祈念館では、国民党軍も日本軍と果敢に闘ったという歴史認識の上に展示されていることに気がついた。これまでは、中国共産党の八路軍と新四軍の抗日戦が主力だった。冷静な分析をすれば当然の帰結であるが、共産党優位の国家観から抜け出していた。日清戦争で割譲された台湾が、国内戦争(解放戦争)の結果、蒋介石の台湾政府が国際的に認められた時期があったが、その後「中国は一つ」となり、統一するために「武力」ではなく「平和的」、「文化的」な遠大なイニシアチブを強烈に感じた。
習主席の指導だと思うが、南京政府は今年、中国において初めて「国際平和都市協会」(本部オランダ)に加盟した。
しんぶん赤旗2017年12月10日「南京大虐殺から80年 下」に、南京大学平和学研究所劉成所長のインタビュウ記事があるので引用したい。
 『歴史には客観的事実が存在します。歴史の事実に向き合うことが必要です。同時に、過去の悲劇の記憶を、未来に再び同じことを繰り返さないために使う必要があります。ここに、南京が国際平和都市になる意義があります。 広島・長崎とも 南京は国際平和都市という新しい名刺をもって、平和教育や平和活動を進めていきます。世界のさまざまな都市との交流を進め、世界平和に貢献していきます。広島や長崎など日本の都市とも交流し、両国民の真の和解と友好を実現する決意です。 現在の中国の一部には極端なナショナリズムが現れています。侵略された民族が再び台頭するときに起こりやすい現象です。 中国の小中高の教育で、歴史を記憶すると同時に、日本への恨みをあおるのではなく、理性的で開放的な方法で平和を追求する気持ちを挙つ必要があります。 両国の和解進め 日本も歩調を合わせてほしいです。なぜ中国政府は2014年に12月13日を南京大虐殺を記念する国家哀悼日に決めたのでしょうか。なぜ南京大虐殺に関する資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に申請したのでしょうか。 中国は中日友好を破壊するためにこれらの行動を起こしたのではありません。日本政府や右翼勢力が歴史的事実をうやむやにしようとする中、南京大虐殺という事実さえもなかったことにされてしまうという危機感からの行動です。 歴史を記憶するという基礎の上に、両国の和解を進め、関係の基礎を固めるのが目的です。日本政府や白木の人々はしっかりと歴史に向き合ってほしいです。』(傍線は管理人)
中国から「平和と友好」のボールを投げられた日本は何をすれば良いのか、結論は明らかである。広島・長崎への原爆投下は、残虐な侵略者日本への当然な懲罰だという歴史認識があったと感じていた。しかし、中国は変化したのである。更に、国連総会で核兵器禁止条約が採択され、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)へノーベル平和賞が授賞したのである。この機会を直ちに生かそうと、今回の訪中団全員は確認し合い、8月に来日する南京民間抗日戦争博物館々長呉先斌さんには、東京大空襲・戦災資料センターや第五福竜丸展示館を見学してもらう企画をしている。
笠原十九司都留文化大学名誉教授は「南京事件の認識が共有されないのは政権の問題なのです。民主主義と相いれない歴史認識をもつ政権を変えなければなりません。近隣諸国と対話し、南京に行くことのできる首相が必要です。」と述べている。


(了)
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