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「江戸と近代日本の歴史散策」の資料画像「不浄門」 

2023年04月12日 外部ブログ記事
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皇居東御苑「平川門」に並んで「不浄門」がある。

木下栄三発行「皇居と江戸城重ね絵図」より
『平川門は大手門、外桜田門に次ぐ三番目の順序でかっての平川を埋め立てた所にある。この郭門は元は三の丸玄関門であったが、江戸城の裏口にあたっていたので、罪をうけた人や死人はこの門から送られるならわしから、不浄門とも言われた。平川門は春日局と門衛の旗本小栗又一郎の逸話でも有名。』
この不浄門から生きて出たのは、「松之廊下刃傷事件」の浅野内匠頭と、「絵島(江島)生島事件」の絵島の二人と言われている。
木下栄三氏が「船着雁木」との記述がある。江戸城内の塵と人糞は不浄門の船着き場から、江戸湾まで運ばれたと想像できる。

普段は「皇居警察平川門警備派出所」の警察官がいるので見ることが不可であったが、「大常宮跡」の見学者に紛れてシャッターを押した。



城壁の「鉄砲狭間」

中国旅順監獄を訪問し、刑死場を見学した。ロシアの監獄を日本が拡張したので不浄門があるだろうと探したら、刑死者の棺桶が監獄墓地に出される小さな門があった。

参考blog記事「明治の文豪徳冨蘆花と義士安重根」

参考blog記事「市谷刑務所にも不浄門があった」
大正5年「東京監獄」時代の地図

(続く)

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