塾長のブログ

2023/05/30 

2023年05月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


一つの時代が終わった??今から30年ほど前、いすゞ自動車に勤務していた私は、日本から四川省重慶市までのノックダウン自動車部品の輸送を、在来船による輸送から、国際海上コンテナを利用したコンテナ輸送に切り替えられないかと、思案していた。理由は、在来船に積むには、頑丈な雨にも耐えられる木箱梱包?をする必要があるが、コンテナを利用すれば、段ボール箱でもOKなので、梱包費が大幅に下がり、輸送中のダメージも極端に減る。少しくらい運賃が上がっても、コスト低減が可能なのだ??そんな事を考えいる時に、鈴木自動車が浜松港から重慶の提携先工場までのコンテナ化を成功させた??と言う情報が入って来た??私は鈴木自動車の海外業務の皆さんと面識があったので、ダメ元で重慶の鈴木の工場を見せてくれないか?と頼んでみた。すると鈴木自動車さんから、あっさり許可が降り、私はコンテナ化をやる為の技術スタッフを連れて、重慶市の長安鈴木自動車へ向かったのです。この日本→重慶間のコンテナ化が出来れば、私が在籍していたいすゞ自動車時代の一大記念となる事業なのでした。【2023年3月21日 東方新報】中国の自動車メーカー「重慶長安鈴木汽車」はこのほど、社名を「重慶鈴耀汽車」に正式変更した。「鈴木」という2文字がなくなったことにより、「小型自動車の王様」と一時称され、多くの主婦に愛された日本ブランド「スズキ(Suzuki Motor)」の痕跡が中国市場から消えたことになった。一つの時代の終わりを象徴しているようだ。 自動車市場に詳しい中国人記者は、「鈴耀汽車」が社名を変更する理由について以下のように説明した。日本の自動車メーカー、スズキはすでに中国市場から撤退しており、双方の規約により2022年から「スズキ」「鈴木」「SUZUKI」といった呼称が使えなくなる。ブランドの使用延長を申請しなかったのは、イメージチェンジを図りたいとの思いがあるからだという。中国メディアによれば、「スズキ」は1980年代から中国の自動車メーカーと技術協力する形で中国市場に参入し、1990年代から重慶市(Chongqing)の長安汽車(Changan Automobile)と江西省(Jiangxi)の昌河汽車(CHANGHE)とそれぞれ合併会社を設立した。奥拓(Alto)や北斗星といった小排気量の小型車を次々と中国市場に送り込み、都市部の主婦らを中心に根強い人気を博した。「スズキ」は中国で小型車の代名詞となった時代もあった。 特に重慶にある子会社の長安スズキは、重慶の経済発展に大きく寄与し「重慶市の納税大戸」、「重慶市のベストテン外資企業」など、多くの称号が与えられた。しかし、近年、中国市場は大型車、高級車の人気が高まり、小型車の市場が急速的に縮小した。競合他社の台頭もあり、長安スズキは2011年、販売台数22万台を記録した以降、低下が続き、18年には約3万5000台にまで落ち込んだ。一方で、スズキは進出したインドで急速的な成長を見せ、17年の販売台数は164万台に達した。インドの乗用車市場のシェア約50%を占め、「2台に1台がスズキ」という状況になった。 18年、スズキはインドと東南アジア市場に集中するため、中国市場からの撤退を決定した。長安スズキの株式の持ち分は中国側のパートナーに長安自動車側にすべて譲渡した。スズキの鈴木修会長は「約25年前にアルトを投入し、中国市場の開拓に努力してきたが、中国市場が大型車の市場に変化してきたこともあり、今般、全持分を長安汽車に譲渡することとしました」とのコメントを発表し、中国メディアに大きく伝えられた。 スズキは中国におけるもう1つの合弁会社である昌河鈴木についても、販売不振による合弁解消を発表しており、中国市場から完全に撤退した。「スズキ」ブランドが中国市場から消えたことに関し、中国のインターネットには「小型自動車の王様、ありがとう」「インドで頑張ってください」といった書き込みが寄せられた。(c)東方新報/AFPBB News

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